Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

華盛頓から来た絵と張芸謀の描く中国

さて、3日連続京都の記事になるがお許しを。
京大総合博物館を見終わったあと、もはや13時半。
さすがに空腹なので、時計台のしたのレストランに向かえど、
人気なのか長蛇の列。待つのも時間が勿体ないので、
大通りに出て近場でランチの店を探す。



初めてのその店は、なかなか流行っている店で、
異国の雰囲気のする店。内装もシンプルだが額絵が面白い。
ステンドグラスのドア、低い椅子、広いフロア。
しばし休憩。結構ピリ辛のパスタ、味付けは濃いめ?
京料理の薄味を思うとびっくりするほど。


  


さて、ここでこのまま大通りを歩いて出町柳まで戻り、地下鉄でも京阪でも、
電車で移動して京都市立美術館を目指せば良かったのだが、
家人が銀閣寺経由えバスで移動しようと思いついたのが間違い。
人気の少ない博物館で優雅に過ごしていた私たちは、世間ずれしていた。
巷は紅葉の季節の京都、来るバス来るバス満員でバス停に止まらない。
やっと来たバスに乗り込んだらもちろんぎゅうぎゅうで、道路も混み混み。
並ぶのも乗り込むのも、そして乗り継ぎも車内の混みようもさんざん。



すったもんだ時計を見て気を揉みながら、やっと辿り着いたのは、
今日が最終日のワシントン・ナショナルギャラリー展。
印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション」を駆け足で見て回る。
けっこうな人出だったが、それなりに見終えてほっと。
見なければきっと後悔しただろうから。しかし、お土産に本を買うほど
強い感動が得られなかったのもまた事実。
最近の音声ガイドは余り魅力的ではないし、面白くもない。
自分の見たいものをゆっくり見ることが出来ず、足早に。



今回気に最も気に入ったのは、意外や意外、こんな絵も描けたのか。
ゴッホらしからぬ白い色彩とペールグリーンが美しい薔薇の絵。
これが見られただけでも満足・・・。 何点もの印象派の絵は、
ある意味日本人後のみとはいえ、少々食傷気味にもなりそうなほど、
今まで沢山見てきているじゃない・・・。
外に出ると職員さんがポスターや垂れ幕を片付け始めている。
ほんとにぎりぎりまで見てしまったなあ。


  


バスの中も美術館もずっと立っていたので、少々お疲れ。
体も冷えてきたので暖めたい。地下鉄駅近所のお店で、
私はお雑煮、家人は甘酒を。ほんの少しほっこりと休憩。
昔ながらの坪庭のある京町家を生かしたお店。



それにしても、しばらく見ないうちにどんどん変わる京の町。
私が知っている、浜大津までの電車は走っていた頃とは、
その線路跡をたどって東山三条まで歩いて美術館へ通った頃とは、
全く雰囲気が異なるのはどうしようもないとはわかっていても、寂しい。
そんな京都の1日を終えて、博物館美術館と盛り沢山の日曜を思い出す。



本日火曜。炬燵に丸まって、ヒートテックを着込んでいる私の見た映画。
あ、これ見るのは2回目だ。最初から見るのは初めてだけれど。
派手さだけが売り物の、監督になってしまったなあ。
張芸謀(チャン・イーモウ)は、もう私の尊敬する監督ではなくなってしまった。
『紅夢』の頃の面影もない。50億円も掛けたという悪評甚だしい、
国家家族崩壊の大量殺戮惨劇映画、『王妃の紋章』。


あの北京オリンピックを仕切ったという、彼が物価も人件費も安い中国で、
50億円も掛けたという映画の制作は、独裁者の諸行のような気がしてならない。
何もかもお金を掛ければ済むとでも言いたげな贅沢さ。
辛い過去があったとしても、大家ともなればこれが許されるのかと言わんばかりの、
やはり中国人だったのねと思わせる、人海戦術映画を繰り広げている。
映画館でこんなの見たら、食食気味になってしまうに違いない。


例の菊の花の映画を見る。おどろおどろしい中国映画。
一国の姫を娶るため自分が裏切って捨てた前妻の残した嫡男、
ひ弱な息子をひたすら愛する独裁者、皇帝。
そのひ弱な皇太子は後妻である皇妃とただならぬ関係にあり、
更に皇妃に毒を盛る画策をする皇帝、薬を盛る典医の妻は実は皇帝の前妻、
典医の娘はひ弱な皇太子と出来ていて、皇太子は若い娘と義理の母との二股。
どろどろの人間関係。


皇太子の力量のある次男を僻地に追いやり、跡継ぎとして鍛えるも、
前妻の遺した長男を溺愛する皇帝。妻との不倫を知りながら、
ひ弱な皇太子はかわいくてならないのに、その実母と皇太子の恋人、
皇太子の実の妹に当たる娘、前妻の夫である典医を虐殺。
何故か日本忍者のような黒装束の暗殺者軍団が、皇帝の手のものらしい。


幼い無邪気な振りをして実は母の不倫を知る三男、
父にも愛されず、母にも顧みられない、兄たちと比較される鬱々とした思いを、
両親の目の前で兄を刺殺するという行動に移す。
腹違いの兄を父親の目の前で殺し、実の父親になぶり殺されるという末っ子。
夫である父に毒を盛られる母を救うために謀反を起こした次男は、
結局クーデターに失敗し、母に非力を侘び、父の前で自害。
殺伐たるストーリーを好むのは、大陸のお国柄、国民性なのだろうか。
そんなふうに思えるほど、陰惨な展開。


この映画で何を訴えたかったのだろうか。
露出度の強い画像とワイヤーワークと究極のワイドショーネタ?
強大な権力は何事もなかったかのように、全てを超越すると?
血を洗い流し、菊の花で重陽節句の装いを整え直される宮城。
惨劇の跡形もない。全てが一掃された世界。


原題『満城尽帯黄金甲』CURSE OF THE GOLDEN FLOWER
こういう映画を作ってしまったあと、彼は何を撮りたいんだろうか。
よくまあ、『単騎千里を走る』と同じ頃にこういう映画を作っていたなあ。
京都といういにしえの王城と、中国の映画の中に描かれるおどろおどろした王城、
きらびやかさの違いに差のあること・・・。
そんな思いで11月最後の火曜日の夜は更けていった。

完全版 - ゴッホの遺言 (中公文庫)

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