Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

699回目の大フィル第九

久しぶりにシンフォニーホールに出向く。いつもの大フィルが違う。
どうやら第九初演当時の形に並んでいるらしい。
正面にチェロ、右に金管ティンパニ、左に木管、うーむ。
本日は前々からチケット購入して楽しみにしていた、
第九を聞く12月の夜。
それも、名指揮者朝比奈隆没後10年に当たる今日、
大フィルは第九の演奏699回目、明日30日は700回目を迎える。
そんな記念すべき演奏会の夜。


  


ここで第九を聞くのは、2年前の佐渡裕指揮以来だ。
家人といつかは合唱に出たいねと話し合っているのだが、
そんな日は来るだろうか。とにかく、今日は少しお洒落。
といっても、明るめの華やかな上着を着ただけ。
席に着くためエレベーターに乗ると、なんと前大阪市長
平松氏と乗り合わせてしまい、ちょっとびっくり。
(家人は位置の関係で気付かなかったよう)
平松氏は音楽を聞くに相応しい気がするが、
今の下克上市長は、到底文化的な香りからは程遠い。
ああ、惜しい人が関西の政界から去ったと思いながら席に。


 


本日第九を聞きたかったのは、朝比奈氏亡き後大フィルを支え、
大阪城での星空コンサートでもお馴染みの大植英次氏が、
そろそろ大フィルを離れるらしいので、今の内に是非聞いておこうと。
小柄な彼のダイナミックで、半ば無言劇を見ているような指揮は、
時にコミカル、時にそこまで? と迫力のあるものなのだが、
今日の演奏は、最初からいつものコンサートと趣が異なっていた。



大震災を踏まえてか、特別な思いを込めて、第九の前に演奏された
G線上のアリア」は篠笛の世界的奏者、福原友裕氏を迎えて、
洋のオーケストラと和の音色の競演と相成った。
主旋律を奏でる篠笛の音色よりも、後半の能舞台を思わせるような、
篠笛そのものの音色が奏でる世界は、軽い酩酊を覚えるほど素晴らしかった。
その余韻さめやらぬまま、本命、大植英次の指揮する第九、始まる。



透明な明るさが、大胆な身振り手振りから生まれる不思議。
大フィルの紡ぐ音色が悟りを得たのか、「軽み」を帯びて、
心を引きずらぬ爽やかな音色を響き渡らせる。
重く沈み、横揺れの波のように会場をうねる佐渡裕の音と、
随分違う。そんな印象を受けながら楽曲を聞く。


ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

実は前の席は和装の女性で帯の崩さぬため背もたれを使わず、
直立不動の姿勢のよさで座られていて、視界が大きく遮られた。
見たいと思っていた指揮はなかなか見るのが難しかったのだ。
そんな私の横で、家人が? 何故なら合唱団の入場が通常と異なり、
第4楽章の前だったので。通例は第2と第3の間に合唱団入場、
第3と4の間は殆ど一つの楽章のように繋がっていくからだ。



私はそんなことは全然気にしていなかった。
元放送部の家人のこだわりのある聞き方にへぇー。
私は通常とは異なるリズムとテンポの速さに、鎮魂ではなく鼓舞を、
憂いではなく清明さを聞き取っていたのだが。
むろん、曲想をどのように受け止めるかは各人の自由。
今日の楽器の配置は、常日頃聞きなれた位置から音が聞こえず、
耳の中に途切れ途切れメロディが響くような、そんな印象さえあった。
だからといって不自然さや違和感が強いわけではないのだが、
楽器の配置が異なると、こうも音の響きが違うのか、
左右の耳の処理してきた音の慣れに、少々びっくりさせられた。



家人と第九を聞くのはこれが3度目だ。
かつて日本における第九初演の地、鳴門で小澤征爾の指揮で、
一昨年だったか佐渡裕の指揮で、そして今年。
あっという間に年を取っていくというのに、
音を聞く耳はなかなか育たない。
普段の生活は音楽など締め出しているに等しい毎日。
せめて、仕事を忘れ、ひと時メロディに、
シラーの詩に、この身を委ねて。



ちなみに、大フィルの関連記事はこちら、大フィルブログ。
http://osakaphil1947.blog66.fc2.com/blog-entry-331.html
 http://osakaphil1947.blog66.fc2.com/blog-entry-330.html
私が佐渡氏の第九を聞いた時の日記は


今日は仕事も休みの日だったので、ハードに過ごした。
午後から「ミッションインポッシブル プロトコルゴースト」を観て、
コンサートを聴いて、「永遠の僕たち」を見て帰宅。
都会に出てくるとなると、欲張ってハードスケジュールで動いてしまう。
だから、映画の感想は別の日に。

リーダーシップは「第九」に学べ 日経プレミアシリーズ

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