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聯合艦隊司令長官 山本五十六

副題は「太平洋戦争70年目の真実」
パンフレットの裏表紙は「常在戦場」
そして・・・老父の口癖が映画のパンフレットの中に
載っているとは思わなかった。
よく聞かされたのは最初の2行だけであるが。


「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
 ほめてやらねば、人は動かじ。
 話し合い、耳を傾け、承認し、
 任せてやらねば、人は育たず。
 やっている、姿を感謝で見守って、
 信頼せねば、人は実らず。」


ちなみに父は青春時代を米沢で過ごした宮城県人である。
長岡出身の山本五十六と故郷を同じくしているわけではない。
とりあえず、本日のレイトショーは、殺伐としたシーンが少なく、
随分静かな印象で終わった戦争映画。
見に行ったのは、主演俳優が好みだったから。
原作は半藤一利だったから。
それぐらいかな。とにかく落ち込む映画ではなく、
日本の将来を憂え、これからの日本を案じる映画、
それはとりもなおさず、この混沌とした21世紀、2011年の日本、
大震災に見舞われ、不況と閉塞感に喘ぐ今が、
下手をすれば、とんでもない方向に向こうとするのを
揶揄するような内容の映画だったからに他ならない。


山本五十六と太平洋戦争 (Gakken Mook)

山本五十六と太平洋戦争 (Gakken Mook)


日本人で戦争で親族を失わなかった人間は居ない。
目の前にいる人間ではなく、自分の両親に繋がる誰かを、
親族を亡くしているのが当たり前の日本人なのだ。
徴兵制があり、無差別攻撃を受け、なおかつ、原爆を落とされ、
それでも平和協調のためにアメリカを頼らざるを得ない状況で、
戦後を生き抜き、ここまで辿り着いてきた日本。
軍隊を持たず、傑出した政治家を持たず、跡継ぎに憂いある皇室、
倫理観の崩壊した国民、消費だけが正義のように育ったゆとり世代


そんな中で、この映画を作ったのは何の意味が?
何のメッセージを?
そう考えさせられる内容。若い人にも見て貰いたいが、
殆ど観客の居ないレイトショーで、すすり泣きはまばら。
私には涙もない。散った命の大きさなど考えもせず、
歴史に興味も持たず、戦争は自分たちには関係ないことと割り切り、
目先のことばかり考えている若い世代の中、
この年齢ともなると、「杞憂」を口にする、
偏狭の人間と思われている今となっては。


祖父も叔父も出征し、戻ってきた。
老父は危うく赤紙を貰う年齢だった。
両親は学徒動員で、勉強どころではなかった。
畑で食糧確保の日々。軍服を縫い直しセーラー服に。
石油も石炭も鉄鉱石もない国の東北に育った両親は、
ひたすらお国のためを信じる軍国少年少女だったわけではなく、
口に出せない物思いの日々を、生きるために必死で耐え抜き、
疎開者を受け容れ、幾家族もすったもんだ。
その中で働きながら学び、成長し、大人になった。


時代と世間に揉まれて育った両親に大切にされた世代は、
何も出来ない、どちらかというと、行動力のない世代。
一部、突出した才能のある人間は世間の前線に出て行ったが、
私は常に後陣に居り、次の世代を育てる役目に就いているのだが、
あにはからんや、力及ばずのまま馬齢を重ねている。

聯合艦隊司令長官 山本五十六 オリジナル・サウンドトラック

聯合艦隊司令長官 山本五十六 オリジナル・サウンドトラック

山本五十六のことば

山本五十六のことば


現実の山本五十六がどのように部下を育て見守っていたか、
戦争を嫌いながら、阻止できない自分の立場をどのように受け止めていたか、
苦い思いを汲み取って余りある展開であるのだが、
その人は下戸で酒をあおらず、故郷の水饅頭に砂糖を掛けて食べていた。
軍人であるからこそ、戦争の何たるかを知り尽くしていたというのに、
回避できなかった第二次世界大戦
彼が戦死した後、日本は更に大きな被害を被り、一般人を巻き込み
2度の原爆を受けて、無条件降伏した。


心あらば伝えてよ。
海行かばの歌こそ流れねど、美化した戦いに軍神と祭り上げられ、
戦場に散らねばならなかった人の、言うに言われぬ悔しさと哀しさ。
世論を煽る人間は、今も後を絶たず。
マスコミの節操ないこと、言う及ばず。
それよりも、何も考えずに国を憂えることもなければ、
衣食足って礼節をわきまえることも知らない。
そんな人間ばかりが増えたというのに、映画の中では、
魚を分け合って食べる家族が居て、船と運命を共にする艦長が居た。


安全な所で戦いもせず、戦況を情報操作し続けた人間は、
どれほど多くの血が流されたのか、今の私たちと同じぐらい知ることもなく。
この、敗れ去った海軍の話を、「負けばっかりだった」とかつて母は語った。
ミッドウエー、アッツ島ソロモン諸島、そんな横文字が、
内職の毛糸針を持つ若かった母の口から聞かされていた私は、
南の島々に楽園を想像することが出来なくなっていた。


軍刀や懐剣を磨いて手入れしていた若い頃の父は、
軍人だった兄たちの事、民間の船と共に沈んだ兄や姉のことを、
殆ど語らないまま年老いていった。
だから私には顔も名前も馴染みのない人々なのだが、
山本五十六同様に、伯父や伯母が戦争の犠牲であることに変わりはない。


名もない一介の庶民と、日本の最も上層部にいながら、
戦争を止めることの出来なかった人。
その悔しさと憤りを胸に秘め、早期講和に持ち込もうと、
生き急いだ彼。共通点はその時代を共有し、戦火に散ったこと。


坂の上の雲』では日本の陸・海軍のめざましい発展と同時に、
人の死を経験しすぎた最前線のすさまじさが、画面を覆った。
画面はあくまでも画面で、その臨場感は心に突き刺さるほどの
強いものではなかったが、それでも、虚しさは心に深く淀んだ。
未来は、多くの人の屍の上に築かれている。
震災後の日本は、平和という長期戦に負けてしまったということなのか。
映画を見、見終わってもなおあれこれと、心彷徨う。


もしも、彼が今の日本を見たならば。
もしも、戦争がなかったならば。止めることが出来たならば。


もしも、不幸な災害が起こらなかったならば、
人間は何も気付かず、前に進めないということなのだろうか。


年賀状が作れない理由、それは。
「新年、おめでとうございます」と、両親連なる親族には言い難い。
宮城県人二世で安穏と過ごしている、自分自身が出来ることは、
たかが知れているのだけれど、でも、やれることから。
そう思いながらあっという間に過ぎた2011年。
自分には何が出来ている? 安穏と映画を見ている。
そう反問しながらレイトショーを帰る夜道。

父 山本五十六 (朝日文庫)

父 山本五十六 (朝日文庫)

山本五十六

山本五十六