デビルズ・ダブル
落ち込んでいる時にこういう映画はどうかと思うけれど、
サダム・フセインに関して、
当時の政治状況に関してどうこう言うつもりも無いし、
知識も権限も無いけれど、実際独裁者とその家族が、
どのような特権を振りかざして人民を苦しめていたか、
一人二役の主人公が、独裁者の息子と影武者を演じている、
そのことも、その話題も、なんと生々しい。
世界レベルで生々しい。
日本レベルの災害も、経済も、政治も、
全て画面の中で押し流されていく。
個人的な家庭的な状況、哀しいこと、虚しいこと、
そういうものを吹き飛ばす、スケールの大きさは、
荒んだ内容も同じ、荒み方の内容が大きいので、
自分の内部の荒み方のスケールの小ささに、
まあ、そういう比較は正しくはないのだけれど、
吹き飛ばされたような錯覚を覚えて、
しばし現実逃避の手助けになる、そんな感じ。
それにしても、アッラーの庇護にあろうがなかろうが、
非道な人間のすることは酒池肉林の類。
神の御わざは、何が御心なのか、凡人にははかりがたい。
そのやりきれなさを、実話を元に創り上げた話。
こういう映画を作ることの意義は、彼らを駆逐したい側の正義なのか。
プロパガンダなのか。
これをどのような思いから創り、この映画を作ることが、
彼の国のためになるのかどうか、危ぶみながら見るレイトショー。
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独裁者でさえも、自分の不肖の息子がかわいかったのか。
それとも、この息子が政治の邪魔になるとは思わなかったのか。
ブラック・プリンスと称されたウダイ・フセイン。
私たちの国には流れてこない、彼の国のスキャンダル。
実際の手記、ラティフ・ヤヒアの物語を映像化するに当たって、
もっとひどい内容もあったというから、恐ろしい。
世界は暗澹たる出来事に満ちている。
今も昔も。でも、狂気は永続しない。
落ち込んでも知れていると、比較の問題ではないと思いながら、
自分の生活を振り返る。
こんな恐ろしい目にあわずに生活できる毎日。
幸せで平和で、戦争のない毎日。
自分さえ望めば、旅行だって買い物だって望むまま。
誰かから必要以上に生活を脅かされることもない。
独裁者を連想させる政治家はいるが、彼の国のような行いはない。
一人二役、演技としても、こういう役は余りにきつく、
精神を蝕みはしないかと危惧してしまう。
手記を書いた影武者は、今は心安らかに生活できているらしいが、
本当だろうか。この作品を創ることに協力したことで、
彼の国の悲惨さを明らかにすることが出来てというが、
悲しみややりきれなさは、全て払拭することは出来ず、
いつまでも心の底に残るだろう。
私たちは、観客としてこれを見るだけでいいのだろうか。
そんな風に思うとき、無力な思い。
平凡な一市民。
ただ、行動するよりもじっとしていたい、
そんな思いに駆られて仕方ない。
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