Festina Lente2

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テルマエ・ロマエ

今週は辛くて落ち込むことがあったので、気分転換と思っているが、
なかなか体の調子がシンクロしてしまって上手くいかない。
年末からの目眩に加えて、年明けからの膝の痛み、今は、
自分が親らしくない、大人げない言動に終始しているので、
我ながら落ち込んでしまう悪循環。


仕事もある意味大詰めなのだが、自分が頑張ったからと言って、
お天気が良くなるものではないのと同じ状態なので、
達成感や充実感にはほど遠いものがある。
これはこういう世界で生きているものの宿命、
そんなふうに割り切れればいいのだが、いかんせん、
結果を求めてしまいがちな人間にとっては酷なものがある。


そういうわけで、映画になるという話題の漫画を読んでみたり、
2月以降の計画を立ててみたりするのだが、
いかんせん、落ち込んだ気分が理性で立て直せるはずもなく。
漫画の主人公も、それを取り巻く人々もそれなりに悩んでいるのだが。
テルマエ・ロマエ」は古代ローマの浴場設備を如何に維持し、
よりよきものを求め、良きローマ市民としての務めを果たすべきか、
悩む主人公の公私に渡る奮闘を、現代日本の風呂文化と共に、
あれこれ蘊蓄満載の、不思議な漫画なので映画に期待してしまいそう。


もっとも、顔の平べったい日本人がラテン系民族の堀の深さをなぞるなど・・・。
演じる主役男性はモデル出身の、今ノリにノっている阿部寛なので、
まあまあ面白そうではあるなあ、などと深く物事を考えず、
ひたすら現実に関係しないことばかり追求する逃避思考で、
気を紛らわせている。悩んだとて今更どうにもならぬものはどうにもならない。
それにしても、仕事をする気力も生活を維持する気力も萎えてしまい、
毎日がどよーんとしている自分自身が情けない。

テルマエ・ロマエ IV 特装版 (BEAM COMIX)

テルマエ・ロマエ IV 特装版 (BEAM COMIX)


辛い時は辛いことをそのまま受け止めて、
時間が過ぎていくのを待つしかないのだと思うのだが、
それがそういう風に、達観できないのが自分自身のこと。
セルフコントロールにはほど遠い。


医者が身内を診ることが出来ないとよく嘆くように、
親も子どもを仕事の面で観察したり、指導したりはしにくい。
年老いた両親がいつまでもかくしゃくとしていて、
頼りがいのある尊敬できる存在であって欲しいと、
無理な願いを持ってしまうように、
娘にも無理な要求をし続けてきているのだろうし、
家人に対しても同様なのだろう。


そして、自分自身に対してもオーバーワーク以前に、
「しなければならないからする」という手枷足枷、
義務感を強いてモチベーションを保とうとしていても、
やや限界。人はいつまでもいい子ではいられない。
羽目を外したいもの、それは自分自身に対する甘え、
いい加減さの度合いのたがが外れた状態。


何だかなあ、夢の中では自由に動いたり、跳んだりはねたり。
元気に動き回っているものの、現実世界では、
痛み止めを飲みつつ、夜は早めにぶっ倒れて、
そんな感じで毎日が過ぎていく。
過覚醒でないだけましなのか、どちらがいいのかわからない。
何を食べても砂を噛んでいるような感じのする今週。


現実逃避の映画、現実逃避の漫画、
それが古代ローマのお風呂をテーマにしているから
何とも言えない。良き風呂とはどういうものか、
寛ぐとは、士気を挙げるとは、政治とは、経営とは、
どのようなものかを風呂から眺めているだけに、
つくづく面白いものだなあと、今まで読まなかった本を前に、
ささやかな気分転換。


主人公の悪戦苦闘ぶりが、彼の世界観が、
なかなか諦めない頑張りぶりが、切なくいとおしい。
架空の世界のあくせく奮闘する現場が風呂、入浴、浴場建築、
人を寛がせるための施設運営にどれほどの苦労と画策があるか、
その背景、理念、理想、現状とのギャップ。
よくもまあ・・・。30年前の民俗学の先生が見たら喜びそう。


今の私は何をするのも大儀で、しんどい。
何しろパソコンで字を打つのもしんどいし、
堅苦しい本を読むのもしんどい。
そして、実際しんどい時は入浴さえもしんどい。
そんな真冬が続いている。
ゆっくり温泉にでも行くことが出来れば・・・。
誰にも会わずに、仕事もせずに1ヶ月ぐらい休めれば・・・。
そんなことを考えながら、ぼーっと漫画を眺めている。

認知症ケア新常識―「食べない」「入浴しない」「眠らない」へのアプローチ

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