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J・エドガーと麒麟の翼

一度の二つの映画を見るのはハードだったけれど、
今日をもってしてめったに無い、映画館一ヶ月フリーパスの日、終了。
なるべく交通費をかけず、近場の映画館で鑑賞。
それにしても、沢山見た。ある意味、2日か3日に映画を見るというのは、
楽しみを通り越して、仕事に近い。
せっかくの恩恵も過ぎたるは及ばざるが如し。
ただでさえ仕事の忙しい時期、娘の大事な時、
逃げるように過ごしている自分に赤面。


麒麟の翼』を最後まで見終わってみると、
肝心な所でこけている自分、そんな恥ずかしい自分、
至らない自分をしみじみ思い返させてくれる。
家族や友人関係の妙、仕事仲間、学校関係、
良くも悪くも人間関係から生まれる、いざこざあれこれ。
あってはならないこと、あってほしくないこと、
ちょっとした子がきっかけで起こる相乗効果の恐ろしさ、
隠蔽される事実の悲惨さ、逃れようとする過去の因縁の重さ。


単純なようで、なかなか考えさせられる映画ではあった。
日本映画だから、あーあと思えるドンくさ・垢抜けなさ、
そんな一面も目立ったけれど、まあ許せる範囲内? か。
シリアスな内容を緩和するためには、そういう側面も必要なのかもしれない。
そう善意にとって、映画の世界に没頭。
麒麟の翼』という題名は、ちょっと懲り過ぎていて、
そう持ってきたかったのはわかるけれど、字画の多さに、
イメージの重さ、話のシリアスさ度合いが重なって、
すっきりと受け止めるには、どうかなというネーミングの映画だった。


謎かけに手かせ足かせを取られ過ぎて、ミステリー仕立てを強調し、
もう一本の柱である情愛の深さ、そこを生かし切れなかったのは、
脚本ミスか、配役ミスか、いや、欲張りすぎたのだろう。
「二兎を追うもの一兎も得ず」の構図。謎解きも感動もどちらも中途半端。
豪勢な配役陣で固めたと思っていたのか、全体の仕上がりが、
固すぎるグリースでまとめられてしまったようだったのに、
気が付かないまま編集を終えたのか。


それに比べて、『J・エドガー』と来たら、
かつてのFBIの御大の事をこんな風に描いてもいいのですか?
といった、暴露記事に近い内容だったのだが、
どういうわけか白黒の画面と、その、すっきりとした構成に、
おどろおどろした部分は拭い去られて、しみじみとした回顧映画、
台詞があるというのに、無声映画のような佇まい。


そう、陰惨な、非人情的な、非道な、様々な場面をさらりと通り過ぎて、
国を守る、国家を守護する、そのために情報を収集し、武器にするとは
どういうことなのかを、コンパクトに描いていた。
まあ、それはインターネットが普及した時代以前の情報収集で、
今や古典的な手法であるがゆえに、さらに回顧的な意味合いを持って、
情報ファイルの集積と抹消が比喩的に描かれていたのだ。


もっともこの二つの映画を比較するのは間違っている。
クリント・イーストウッドが絡んでいるのだから、派手な人物を、
誰からも恐れられた情報部のトップをその世間のイメージ通りに描くはずもなく。
ひたすら静かに追い詰めるような視線で淡々と描き出した所に、
演出以上の演出となる哀しさを醸し出すラストシーンが、
必然として導かれたのだろう。
人によっては物足りないと感じるほどの、「距離感」を持って撮られた映画。
近付こうとすればするほど、離れていくような、そんな感じに。

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図書館の中で、フーバーを演じるデカプリオが、
未来の秘書(ナオミ・ワッツ)とデートする場面は秀逸だった。
本。図書=情報は扱いやすく分類整理し、取捨選択。
選りすぐって活用してこそ意味がある。
自分を理論武装させ、その拡大解釈の元、
組織や国家を堅牢なものに作り上げることができる。
その野心の萌芽をファンタジックとも言える純情さでもって描く。
この場面は、それほど長い場面ではないが前半の一つの要だ。
聖堂の如く神聖な雰囲気を醸し出す図書館デートが、
「未来への情報戦」の聖域として象徴的に描かれていて、心に残る。


後は、腹心の部下であり心の友であるクライド・トルソンと、
一日の食事、主に昼か晩を共にする約束をする。
その後の関係がどうなっていったか。
「死が二人を分かつまで」を直接的に語る場面はなかったものの、
なかなか興味深い情愛が感じられル場面が散りばめられていた。


更に、母親とはどのような関係だったか。
心理学的に解釈すれば、いくらでも深入りできる場面だが、
それはそれで、人間の人間らしい執着や心の襞が感じられる場面で、
エドガーが母親と別れる場面、
エドガーの死を知らせの後、
腹心の部下であり友だった人間と秘書がどのように行動したか、
更に敵対勢力はどのように動いたか、この対比も鮮やかで
アメリカの裏側を描いた映画の最後として実に印象深かった。


まことに人は一人では生きられぬ。
ましてや、一人で「こと」を成し得る事はできぬ。
その哀切極まりない真実が、情報を収集・操作した人間を、
別の側面からもって見せてくれた、そんな映画だった。


まったく違う映画だけれど、どちらも共に哀しい。
強く生きるメッセージよりも、人間として生きる哀しさばかりが、
募る形になってしまった本日の映画2本。
ああ、随分見たなあ。
結局、元気を貰うよりも、哀しいことが多い毎日を確認するような、
そんな映画の方が多かったのだろうか。
確率論。毎日の感情を占めているものは何なのか。
結局は沢山映画を見るって、そこに行き着くのかな。

麒麟の翼

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FBIフーバー長官の呪い (文春文庫)

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