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画家の訃報記事から

福王寺法林氏。何処かで聞いたことがあるような気がする。
ああ、そう、画家だった。
どうしてそんな訃報記事を老父が切り抜いているのか、この週末。
米沢で下宿して大学に通っていた父の、その下宿先の近所だったらしい。
彼の著名な画家の若かりし頃。
どんな有名な人にも苦労話は付きものだが、戦後の貧しい時代、
どこもお金に困ってあれこれ貸し借りで都合を付けたり、
某かの金目のものを売り払ってやりくりしたりという難儀な時代。
その当時の思い出話を一つ二つ、聞くことになった。


 


後に著名な画家となった氏も、随分苦労されたようで、
老父の話に聞く当時の様子、少しばかりほろ苦い。
だが、そういうお金や生活のことを見聞きしなさ過ぎる、
のほほんと月に何万ものケータイ代を使う世代がのさばる今となっては、
苦労話はファンタジーのようで、現実味を帯びぬ戦後の暗闇。
「生活に困る」というのはどのレベルのどの内容なのか、
想像の域を出ない当時の世界。
当時の近所づきあい、苦労話、想い出、貧窮譚。
どこもかしこも苦しかったに違いないという世界が、遠くなった現在。


私にとっては滅多に仕事や思い出話をしなくなった老父の、
学生時代に体験した近所づきあいと、そのよしみとして手に入れた、
それこそ「お宝発見」的なものを、やはり悪徳商人に騙されてかすめ取られた、
「なあんだ」的なショボイ結末の思い出話、にしか聞こえなくもないのだが。
少しずつ蓄えてあるものを切り売りしながら、或いは買い取りながら、
ものやお金が回っていた時代の話だから、当時の出来事とすれば日常茶飯事、
珍しくも何ともない話なのだろう。
それでも、宮城県を故郷に持ち学生時代を過ごした山形県の県人会にも入っている、
関西に長く半生以上を過ごしながらも故郷に熱い思いを持ち続けている老父の、
その心にとまった画家の訃報記事。


そう、私にとっては有名な、ああ、あの絵の画家の人。
思い出せば好きな画風の人であったけれど、
今まで一度も老父から聞いたこともなく、話題になったこともなく、
特に肩入れして展覧会や画集を見入ったわけでもない、その人。
なのに、父が若かりし近所に住んでいて行き来があったと懐かしむその人が、
新聞紙上の訃報欄を通じて、少し近しい存在に感じられた。
それが、何とも不思議な感じ。



氏は遠い遠い故郷に在りし頃、手放さざるを得なかった「お宝」の後日談を、
半世紀以上も経ってから食卓の話題になっていることなど思いもよらず、
くしゃみをしながら絵筆を持ちつつ黄泉路を辿られていることだろう。
世間では「お宝発見の何でも鑑定団」ではないけれど、
こういう話がきっとあちらこちらに埋もれているはず。
いつ如何なる時に、手に入ったのか手放してしまったのか、
人から人に渡って行方知れずになってしまった数々のお宝。
我が家には無縁だと思っていたけれど、老父の話を聞いて、
やっぱり世間であったことは、うちにもあったことだったのねと
嬉しいような哀しいような。


久しぶりに福王子氏の絵でも見ながら冥福を祈りつつ。
如月もあと1週間足らず。