Festina Lente2

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中学校生活始まる

娘の中学校生活始まる。とは言っても、地元の中学なので、
二つの小学校が合わさっただけだが・・・、
はっきり言って一つの小学校から持ち上がりでもいいくらい。
1学年のクラス数が二桁に上ろうかという大規模校。
こんな中でやっていけるのか、娘よ。


私は幸か不幸か、そこそこの人数、
戦後子どもの人数が多かった第一次と第二次のベビーブームの間に生まれ、
受験戦争も厳しかったものの、可もなく不可もなく、
何とかストレートで卒業し就職という路線を辿って、
オイルショックでめちゃめちゃになった親のライフプラントは異なる、
地道な仕事でやっていくのだと、ある意味逃げてある意味冒険せず、
自分を閉じ込めて仕事をしてきたのだが・・・。


それでも小学校の倍のクラス数の中学校生活は、ちょっとハードだった。
おまけに引っ越し後の入学で、誰1人知るものもいない転校と同じ。
更に1年後引っ越しして新しい中学、中2は本格的な転校生活。
そういう私と異なり、この大規模校で3年間揉まれる筈の娘。
大丈夫か、やっていけるか。
そんな思いを他所に、何も語らず。


「どうして中学校には帽子を被っていけないんだろう」
そう、小学校入学以前から娘のトレードマーク、帽子。
お外に出かける時は必ず帽子を被せていた、その名残。
「日に焼けるから帽子を被りたいのに」
いや、被っていっても大丈夫だと思うけれど、道すがら。


炎天下、春の日差しは思いのほかきつく・・・。
小学生低学年まで無かったそばかすが、日焼け止めを塗っていても、
後から後から白い肌に増えてきて、気にするお年頃。
中学校までの道のりは25分。急げば20分?
いや、結構ある、結構あるぞ。本当にそんな時間で?
かーちゃんが歩くのが遅いのかな。
30分は歩くと思いますが・・・。


娘の真新しい制服姿に、本格的な新年度を思い至る。
気持ちの切り替えが下手な私に似ないでくれ、娘よ。
そんな想いで、入試制度がころころ玉虫色の大阪の公立中学へ、
今日から毎日通うことになる。
きっと、家人の住む大阪北部に生活していたら、
公立中学には入れなかったかも知れない。
そんな思いがまだ胸をかすめる。


でも、交通の不便な所で片道2時間弱も通学させられない。
それでも、公立中学の学習環境を年々信じられなくなってきていても、
地元に通わせるしか結局無かった今となっては・・・。
人生万事塞翁が馬といっても、これが吉と出るか半と出るか。
悩ましい、新学期の始まり。

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