Festina Lente2

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老父の誕生日

昭和一桁生まれの16人兄弟の末っ子、
けれども、もう兄弟姉妹はお姉さん一人しか残っていない。
きょうだいの数は多いけれど、4分の一は3歳まで育たず、
8分の一は戦争で船と共に沈み、私が名前を顔を知っているのは2分の一。
一番上とは20年の年の差、でもって16人きょうだいって。
昔の人の生めよ増やせよって・・・。
自分の祖母の人生って・・・。


祖母は本ばかり読んでいるお嬢様だったらしいけれど、
そんなに子どもを生んでいたんじゃ家事も何もあったもんじゃない、
きょうだいといっても、父の姉に当たる長女から見れば
父は自分の子どもよりも年下。
そんな人間関係は昔は当たり前だったのかも知れないけれど、
とても不思議。


父方の祖父母は短命で、私は会ったこともない。
私の記憶の中にはもっともっと色んな人がいるべきなのだろうけれど。
私に田舎は無く、両親の田舎があるばかり。
私に親戚がいるのではなく、両親のきょうだいが住まう地があるばかり。
16人分の元気を一身に集めて昭和一桁の老父が、
自分の車を運転し、好きなものを買いに言って、こっそり昼間から飲んで、
昼寝をして、犬の散歩をして、庭の野菜を取ってくれる、
そんな毎日がいつまでも続いて欲しい。


とにかく、鷹揚で怒らない。というか、短気だけれどからっとしている。
じめじめとしけったことがない。あとに引きずらない。
記録まで日記をつけるのが好き。物の薀蓄、講釈を垂れてるのが好き。
歴史や家計図や、ご先祖様や、田舎の観音様の祠に執着。
田畑を持たない末っ子は家を離れてどこぞに出て行くのが当たり前の世の中、
何を好き好んで東北人をみちのくの田舎者と蔑む感の強い所へやってきたのか。


家を離れて生きるのが当たり前と思って暮らしている人間と、
ここが日本の中心だからどこにも行きたくない、ここが一番いいと思って
生きている人間の只中にあって、人生の四分の三を故郷を離れて生きて、
いつまで経っても叶わないなあと思える。
成功者であるかどうかは別として、長寿で達者で生きてくれていることが、
何よりもすばらしく価値のあることだと思わずにはいられない。


なぜならば、自分は老父の年齢まで五体満足でいられるか、
トンと自身が持てず、イメージがわかないから。
誕生日ケーキを買ってきても、なかなか食べてくれないようになった。
でも、暑い日のアイスクリームは大好きな父。
老いても朝は誰よりも先に新聞に目を通し、
電話で連絡を取り、謡をたしなみ、掃除洗濯買い物をこなす。


本当に自分で淡々と生活している。
それがすばらしいとつくづく思う。
私には、まだまだ真似ができない。
とても追いつけない、昭和一桁の頑健でしなやかな毎日。

昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)

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昭和史戦後篇 (平凡社ライブラリー)

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