Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

敷居が高い整形外科

相変わらず痛い指。左手親指は上手く曲がらないまま、
医者に行く緊急性が無い、というか、時間もない。
休みを取って出かけるか、どうか。
そこまで必要なことかどうか。
使わなければ、使う瞬間でなければ痛まない状態。


仕事が積んで積んで、20時過ぎまで職場にいるのは当たり前。
それではいかんと思いつつ、新年度の疲労の蓄積、
如何ともし難く、病院に行けない。整形外科は少ない。
雨後の竹の子のような乱立整骨院で診て貰うわけにはいかない。
そういう症状ではないのはわかっている。
レントゲンを撮る必要はある。その先を考えるとまた鬱陶しい。


使わなければ痛みのでない指、使っていれば痛くて当たり前。
使って痛みが出るのは当たり前。曲げなければそれで済む。
物が持ちにくい、持てない。右手が代わりをする。
それで解決する問題ではないのはわかっている。
腱鞘炎でもない、小指の痛みは余り差し支えない。
小指は余り使わない。
しかし親指は違う。


痛くても日常生活は続けなければならない。
麻痺して動かないわけではない。
しかし、動かなくなってから医者に行くのはまずかろう。
それにしても、痛む。親指の筋? 親指の関節炎?
どう考えてもリュウマチとは症状が違うと思う。
第1関節は上手く曲げることも出来ず、押して曲げると
手首まで痛みは響き、筋全体が突っ張っているのがわかる。
筋だけではなく、明らかに何か関節にも異変がある。
手で触った感じ、それはわかる。


左手は思いがけず沢山仕事をしている。
キーボードが上手く打てないのは、左手が安定していないから。
鞄を持ったり傘を持ったり、利き手の右手を空けておくため、
常に左手は重いものを持ち、以外と隠れた力持ち。
右手の方が甘やかされて、器用なようで以外と仕事をしていなかったりする。


左手は継続して重いものを支えたり、持ったりすることに慣れている。
右手は瞬発力の必要な時、字を書いたりする時など、
選択的に様々な用途をこなしているのだが、
ふと気付くと、右手がしないことは左手がしているので、
役割分担が出来てしまっているだけ、片方の指が動かないとなると困る。
分担していたことを、取り替えてはなかなか・・・。


確かに字を書くのは右手。でも、ワープロを使えば右手無しでも何とか。
笑えるのはズボンや下着の着脱、これは片手がとても難しい。
トイレも困る。服を引っ張り上げることが出来ない。
左手親指が上手く動かない。これだけで物を挟んだりつまんだり出来ない。
日々、出来ないこと、痛いことを実感し、
それでも整形外科に行かないのは、まだ緊急性の無い痛みの範囲内だから。
指がこわばるのは年齢的なものもあるかも知れないから。


ボルタレン飲み薬、軟膏、、湿布、それ以外に整形外科はどんなことを?
折れた切ったはったの大きな作業でなければ、軽微な痛みは相手にされない。
日常生活に刺さった棘のような感覚の不便さを訴えても、
常々やり過ごされてきているだけに、整形外科は「歩けない」レベルでないと、
なかなか行きづらい場所だ。
近隣の病院にむち打ちで運ばれても、「レントゲンに症状はない」と、
湿布だけ渡されて、「気にし過ぎる人は痛みが長引く傾向がある」と言われ、
あちこち転々として痛みを軽減するのに苦労した。
見えない傷の痛みに対して、全く無頓着なのは整形外科の十八番だ。



痛くても生活できる場合、医師は全く痛みには寄り添わない。
診断はするだろうが、症状に名前が付くだけで、
何ら変わることがない場合が多い。
その諦めが蓄積しているだけに、整形外科は敷居が高い。


整形外科が嫌いなのは、往々にして湿布と軟膏だけで終わり、
根本的な解決策はなく、直らないことを実感させられるから。
決して傷や痛みに理解を示さず、
動けないレベルの大きな怪我の対処にのみ、積極的な反応・治療を施すから。
医師の側からすれば、当たり前だろう、それ以上何を要求?
と言われてしまうけれど。


家人の大腿骨骨折時の冷ややかな対応もそう。
「教科書に載っている整形外科なら誰でも治療できるレベルの骨折」
なんて、怪我した本人と家族に言われても。
痛みがあっても怪我をしたのだから仕方がないでしょうと、
痛みを取る処置が殆ど無い整形外科ばかり。
リハビリ施設は「大きな重篤な症状」が出ていない限り、
利用することが出来ない場所。

親指はなぜ太いのか―直立二足歩行の起原に迫る (中公新書)

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私が今まで手指の痛みを訴えて受診し、
納得できる説明と痛みの軽減までの期間について、
説明してくれた整形外科医は10年前1人、
3年前1人、それ以外は実に殺伐と処理的な診察。
痛みは個人的な感覚の領域で、不定愁訴と同じ扱われ方をされる。
骨が折れて飛び出しているような開放骨折や、湾曲した状態、
治し甲斐のある怪我でなければ診療の手間、
説明する時間は勿体ないとさえ思っているのでは・・・。


外科や整形外科の当たりが悪かったのか、出会いがなかったのか。
仕事に押されているのをいいことに、19時までに入れない
使わなければ痛みが少ないのをいいことに、
医者に行くことを避けている、日常。
待合室も、あの雰囲気も、診察そのものも、何もかも抵抗感一杯。
この年齢になっても、ちゃんと診て貰おうと思えない場所、
そんな感覚を植え付けられている、整形外科。


内科と違って、とてもとても敷居の高い整形外科。
そして、整骨院はあちらこちらに増えているというのに、
外科や整形外科は減っている。なかなか近隣では見つからない。
大きな病院は午前中のみ診察。
行けるか、この新年度。仕事を休んで?
この繰り返しでますます敷居が高い、整形外科。

手・肘の痛みクリニカルプラクティス (整形外科臨床パサージュ 5)

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