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沖縄本土復帰40周年

娘は中学1年生。
私が中学1年のときの担任は地理の教師で、
沖縄が本土に復帰した日、今日から日本の国土は広くなったと、
誇らしげに話してくれたものだったが、
その40周年を祝うはずの今日、何故本土では話題にならない。


たまたま娘の中学校の修学旅行が沖縄で、
我が家には娘が先輩から貰って来たお土産のお菓子、
「ちんすこう」が鎮座ましましている。
残念ながら私は沖縄に行ったことはない。
社会人大学院生時代の友人が一人いて、年賀状にも
「沖縄に遊びにいらっしゃい」と書いてくれているのだが、
なかなか台湾よりも遠い(高い)沖縄なのだ。


少女時代の漫画雑誌には、毎年必ず沖縄を題材にした話が載り、
本土の原爆・広島・長崎と同じくらい話題になった。
ひめゆり部隊」の映画や漫画、「さとうきび畑」の歌、
それは季節の風物詩といっていいくらい繰り返され、
子供心にも、今は行けなくても遠い南の島、沖縄は
本当は日本の領土で、アメリカに占領されていたけれど、
日本に戻ってきたんだと意識させられた中学一年の5月。


わが娘にはどれほどの思いがあるだろうか。
私が親の話を聞くよりももっと長いタイムラグがある、
それほど昔のことになってしまった沖縄日本返還の事実、
遠い遠い過去のことになってしまった出来事。
今の若者には沖縄は芸能人を沢山排出する島、
九州同様中央志向の強い地域、そんなイメージなのだろうか。

沖縄地域産業の未来

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沖縄発―復帰運動から40年 (情況新書)

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私が生まれ育った地域には、結構広い公園があり、
幼い時からの遊び場、小学校時代の遠足、キャンプ、プール、青少年施設、
高校時代はマラソンの会場にも利用された。
小学校時代、「進駐軍から返された土地が公園になって」
云々という教師の言葉を耳に挟んでからは、
進駐軍」が何を意味するのか知るようになり、
アメリカ軍が駐留していた、日本は占領されていた、
戦争に負けた国だったと知るようになった。


今、東西に分かれていたドイツは統一されたが、
韓国と北朝鮮は相変わらず分断されたままであり、
日本の領土である北方領土は不当にソビエト時代から占領され、
何食わぬ顔でロシアが引き継ぎ、帰ってくる見込みの無いまま、
「失敗した外交政策」の象徴として遺されている。
だから、沖縄が本土に返還されたのは「誠にめでたい」
ことのはずだから、この40周年をもっと話題にしてもいいのではないか、
と感じる私は古い人間なのだろうか。


手塚治虫の漫画でも沖縄はストーリーに組み入れられていた。
直接戦争の話題ではなくても、美しい自然を守るための象徴、
開発と商業化の狭間でないがしろにされる文化や歴史、
いまだに駐屯地が残り、安保の名の下に部分的に米軍優先の世界、
明治時代以前からの複雑な歴史を持つ島々、
そこに生きる人々の幾重にも屈折した思いは、
本土で生まれ育った人間にはわからないとされてきた。


わからないのとわかろうとしないのとでは違う。
知らないままでいるのと、決して知ろうともせず、
学ぼうともしないのとでは訳が違う。
娘も2年後、沖縄の修学旅行に行くのだろうか。
かーちゃんも付いて行きたいくらい、遠い遠い南の島。
戦場になった島、沖縄。


何故、話題にならないのだろう。
本土に復帰したとはいえ、問題が山積の揺れに揺れている島、
何が平和なのか、いつも大きな危険に晒されている島、
東北人にルーツを持つ私には、北海道は近く感じられ、
沖縄は遥か遥か遠いものに感じられるけれど、
復帰を記念する身近なものが無いことに、疑問を感じる。
ただただそのことが不思議に感じられた、5月15日。

沖縄からの風―「日本復帰」40年を問い直す

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闘争する境界――復帰後世代の沖縄からの報告

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