Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

読みながら思う

パソコンを開けないで暮らす、それはなかなか難しい。
仕事でどこにも出かけられないとしても、
疲れているからどこにも出かけないとしても、
日常読めるものの中に、旅ブログ、写真ブログがあれば、
それで何となく満足してしまう。
それが当たり前の生活の一部になっている。


多分、その人の記事や写真が誠に読み易く見易く、
臨場感溢れる、機知に富む、非常に面白いものだからだろう。
こちらは日記代わりの雑文なので、記事をアップしていても、
人を楽しませる面白く書く観点は欠けている。
ただ、記録と主観が交互に散りばめられているだけなので、
どうしたものか・・・と思いつつ。


旅に出かけることもなく、家を離れるだけが旅に近い非日常。
それはそれで、色んな経験が出来なくもないが、
お友達や先輩ブログの異国の景色を目にすると、
少々「血が騒ぐ」ような感動? ワクワク感を覚える。
多分自分が見聞きしたものとシンクロして、嬉しい。
もしくは是非訪れたい、又はもう一度行きたい、などなど。


仕事で疲れた心のカンフル、といえば大袈裟だろうか。
仕事の合間に、帰宅時に開く画面にみる異国の世界。
それは昔ならば、ドキュメンタリー番組などでないと見られない景色。
わざわざ高いお金を出して、もしくは図書館から借りて読む、
旅行書や地理関係の本、もしくは歴史書
そんな世界の街角のあちらこちらが、意外なほど簡単に?
見ることが出来る世の中。便利だなあ。


Cute Photo Blog Style すてきな写真ブログの作り方

Cute Photo Blog Style すてきな写真ブログの作り方


でも、そこに添えられるひと言、一文。
気心知れた? 読み慣れた文章のせい? 
それとも読みやすさを心がけた簡潔な表現、個性?
筆遣い、水茎の跡は見えねど、ユーモア溢れた記事の紹介、
旅の思い出は、日常に倦んだ心を優しくほぐしてくれる。


トルコ、いいなあ。また行きたいなあ。
食べたい物、見たい場所、沢山ある、世界中。
でも、日本の若者はもう海外に行きたがらないのだそう。
グーグルアースで見られる街角と、ツィッタ―で、
世界を知ったような気持ちになるのかしらん。
若い時にでかければ若い感性で、
ある年齢になればそれなりに、感じたり思ったりすることは違うのに、
今更わざわざ出かけなくても、らしい。


写真だけぽんと載せられるよりも、ひと言添えられた方が、
こちらとしても「なあるほど」と頷ける数々の景色、その背景。
ちょっとした知的な冒険が人生の一コマ、わずかな時間を豊かにするのに、
「今どこ」「何々ナウ」だけで済ませるのも、どうかな。
・・・若い人たちから見たら、ツィッターもブログも無縁の、
地味―な生活を送っているように見えるそうだ、私。
むろん、ツィッターする時間なんてありませんが。

文章を書いて脳がいきいき若返る!

文章を書いて脳がいきいき若返る!

私自身は読みたい書きたい人間なので、どちらかに偏る、
となるとアンバランスなのだけれど、
世の中には書いて読ませるを生業にしている人も居て、
そうなってくると、なかなか気構え心構えも違っているのだろうが、
読みたいに重点を置いて考えてみると・・・。
読書よりも簡単お手軽な電脳玉手箱の世界は・・・。


本読みは本の中で自由に世界中を旅するように、
文字であれ写真であれ、その中を行き来する速度は速い。
普段その世界に馴染まない人よりも、もっと早くもっと素早く、
縒り深く広く、その世界を渡り歩いて戻ってくる。
単なる時間潰し、ではなくて、もっと意味のあるものとして。
私の電脳玉手箱には、大切なお付き合いも存在していて・・・。


迷惑メールの多い、ケータイ端末の刹那的なメールのやりとり以上の
情報交換は出来ない世代が増えているって本当かな。
そうだとしたら、ちょっと寂しい。
呟くレベル以上の情報は、頭に入らない、耳に聞こえない、
目で読むのはしんどいから要らない、のだろう。


読書と同じレベルで、情報量もコンパクトに希薄になりつつある訳か。
軽薄短小の好きな国民性ではあったが、基幹産業もじり貧になり、
アジアでもっとも勉強時間の少ない国になってしまった今、
情報が増えつつある世界の中で、切り捨てる方向にシフト、
それ以上の余分なものは受け容れること無しに、
狭く浅く生きることを選択している、というか、
そういうライフスタイルにも気付かず生活しているって、
天の慈悲か。
うーむ。


何もかも、ライフスタイルの違いよ、だけで済まされないような、
怖いものが横たわっているなあと思いつつ。

じじいリテラシー (星海社新書)

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世界を信じるためのメソッド ぼくらの時代のメディア・リテラシー (よりみちパン!セ)

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