Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

日本民家園を歩く

(写真は全て大きくなります)

夜行バスにて関東に戻る。
夜行で行って夜行で戻る強行軍。さすがに疲れた。



昼過ぎまで仮眠を取り、午後から生田緑地日本民家園に行く。
白川郷にはまだ訪れたことがないので憧れの地だ。
目の前にそびえ立つ合掌造りの家。
「おお、この家が」としみじみ眺め入る。


    


遅めの昼食をここで食べようとした家人と娘は、
この建物までの見学をすっ飛ばして歩いて行ったので、少々不本意
山里の鄙びた味わいを演出する店の佇まい。
蕎麦は更科でまあまあの味わい。
大勢人が来るところはとかく? な味の場合も多いのだが。


    

  


東北も含め、関西関東、様々な古民家が再現されているのだが、
民家のみならず展示されている民具にえもいわれぬ思い。
そして、民家そのものが古いにもかかわらず、痛みの少ないことに驚く。
よほど丁寧に手入れをして保存しているのだろうか。


   

    

  


家は人が住まないとすぐに傷んでしまうもの。
これほどメンテナンスがしっかりしているのは、
職員・ボランティアの方々の努力の賜物なのだろう。
本日の展示と称してそのたびごとに家を変えて
炉に火を入れたり部屋に上がれるようにしている。
これがこまめに風を通すだけでなく、
家の保存にとっても良いことなのかもしれない。


    

  

  


昨年まで、老父が娘の小学校に毎年縄ないを教えに行っていた。
草鞋に注連縄、その作り方を私自身はとうとう習うこともなく。
それでも、両親の実家、宮城の農家の屋根裏、土間、壁、農具の記憶は、
懐かしく脳裏に蘇り、私の胸を締め付ける。
夏の日の幼い日、あれから半世紀近く経っても。


    

    

  



実は関西にもこの日本民家園に相当するものがある。
服部緑地日本民家集落博物館だ。
この6月までの家人の家からそう遠くもなく、
いつでも行けると思っているうちに、とうとう行かずに終わってしまった。
7月からの家人の新たな社宅は車で15分という生田緑地の近所なので、
強行軍の疲れを癒しがてら、日曜の午後を過ごしている。
世間ではお盆の休暇も終わろうという日だ。
なので、時節に応じた飾りがしつらえて展示されていた。


    

    

    

  


田舎風言えば分家、都会に出て家庭を築いた核家族で育った私の家には、
仏壇もなければ盆暮れの儀式めいた習慣もなく、育ってしまった。
私の知識は先祖の血潮の流れる地元密着型の日常に根ざしているのではなく、
民俗学の教科書や和の伝統といった書物・映像から培われていると言っていい。
それだけに本当の調度・風習を見ると驚くと同時に感動してしまう。


    

    

    

  


薪割り風呂焚き体験はあれど、農作業や近所の付き合い、祭りの準備、
法事やお彼岸のなど、全く無縁で過ごしてきてしまった。
そういう後ろめたさ、どこか中途半端な日本人で生きてきてしまった、
そんな感覚がいつも胸をチクチクさせる。
懐かしさを感じながらも、それらに密着していない自分の存在の希薄さ。


    

    

  


アップダウンのある広い園内を歩いていると、散歩以前に足腰が丈夫になるよう。
機械に頼らない人の手仕事の細かな技術を見て取り、ため息。
屋根裏の縄目、縛り方括り方にため息、私には物をきちんと束ねることなど出来ない。
崩れないように確かな支えを作り、破れ目を繕い、次に備えることなど。
生活を重ねて風雪に耐えてきた古民家を目の当たりにして、
それらが消え去った時代に生きている自分に愕然。
私には、確かな営みなど何も出来ていない。
自分は何を娘に残していけるのだろうか、伝えることが出来るのだろうか。