Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

繋がり直す

本日娘は祖父母と久保惣美術館へ出向いた。善哉善哉。
よしよし、少しは芸術の秋を堪能しないとね。
ってもう、冬に突入しちゃったよ、暦の上では。
でも、今年の冬将軍は厳しいらしい。
期末テストも終わったことだし、ジーちゃんばーちゃん孝行してね。


そういえば昨日、勉強会に出向く途中、
娘から何度もケータイに電話が入っていたのに気付いて驚く。
実家で何かあったかと。
焦ったが、結局今更連絡をもらっても詮無いことだった。


私は公孫樹並木の黄葉と美術館なり、ランチがてら楽しみたい、
娘と晩秋・初冬の景色を共に眺めたくて朝方声をかけたのだが、
寝ぼけ眼の娘には通じなかったのだ。
かーちゃんが出かけてからあわてて電話しても無理無理。
かーちゃんは基本携帯人間ではないし、地下鉄は電波が届かない。
かーちゃんはパソコンでメールする人なのだ。
しかし、11月は音信不通に陥ること多々。
体調不良は自分ばかりではなく、ネット環境もそうだったのだ。


結局、新しいルーターを購入、
ネット難民、陸の孤島生活からの脱出を計る。
持ち主に似たのか、血圧が上がると同時にキーは重くなったように感じ、
画面も見にくくなり、それは視野や頭痛、肩凝りのせいもあったけれど
ルーター自体も再起動がしょっちゅう必要になった。


パソコン不調11月初旬、ルーターはどうやらダメになったらしい。
というか、パソコンソフトの更新がセキュリティの甘いルーターの設定を、
受け付けなくなってきたともいえる。
仕方ない、昔と違って価格も安くなってきたのだ。
思い切って新しいルーターを買ってきた。
私のような機械音痴でも何とか設定を終えて、めでたく師走から
記事もアップし、外界と繋がることが可能になった。


そう、私は基本ケータイを使わない人だ。
使えない人といった方が正しい。

私がケータイを持たない理由(祥伝社新書292)

私がケータイを持たない理由(祥伝社新書292)

ケータイ化する日本語―モバイル時代の“感じる

ケータイ化する日本語―モバイル時代の“感じる"“伝える"“考える"


電気屋の向かいでハンドマッサージ無料。
お試しに頼む。手が物凄く凝っているそうだ。
どれほど仕事しても追いつかない。
というか、どうやったら仕事の量を減らせるんだろう。
いや、、昔のように打てないということ。
嫌な仕事を先延ばしにしているということ。


解釈の勉強をしていて、スコアリングを学びながら思う。
「能力以上の仕事をして出来ずに落ち込む、
自己達成感をいつまで経っても持てない人間」とは自分のことだなと。


落ち込むこと海の底。能力以上のものを求めるふがいない人間か、
半世紀生きてきても進歩がないな。
繋がる以前に、自分から断線。やれやれ。
しっかりしろよ。