Festina Lente2

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買い出し日の夜

もっくんの日。
と言われてすぐに分かる人は、某スーパーを愛用ですね。
娘のピアノの練習日、中学生になった娘の唯一お迎え日。
木曜日は最近我が家の買い出し日だ。去年後半は体調を崩し、
仕事帰りの疲労もあって、不本意ながら外食日になっていた。
しかし高血圧と家計に優しくない外食、味付けは濃いし、
ランチと違って割高なので嬉しくない。


余りお気に入りのスーパーではないのだが、駅前では一番大きい。
車も停めやすい。結局、夕方以降の特売品、値下がり品を求めて
木曜日は沢山買い物をする買い出し日になりつつある。
思いがけない値下げ品は家計の助っ人。実に有り難い割引シール。
半額の上等の寿司やお刺身、二人で食べてもと500円で済む。
お値打ち見切り品、一瓶200円のバーニャカウダは大活躍。
料理の味をグンと格上げする優れもの。


買い物袋が3つになっても、中学生になった娘が持ってくれる。
よたよたしながら以前のように駐車場に一人で運ぶのではなく、
二人で一気に運べる。これはとても有り難い。
買い出し、1週間分。まとめ買い、経済的。
最近食べる量が増えているなと、育ち盛りの娘を見ていて思う。
でも一から十まで全てを手作りしている時間がない。
でも、たまに作ってくれる食事は私の味付けにそっくりになってきた。


沢山食事を作って貰ったのに、よく考えてみると、
母の作ってくれた食事を口にしたのは大学生くらいまで。
仕事に出るようになってから一緒に食事も殆ど無く。
幼い頃に食べた記憶、お手伝いした記憶は鮮明なのに、
思春期辺りから食事の記憶が余り無いのはどういうことか。
塾に行ったこともなく、クラブで遅くなったこともないはずなのに、
何に心を奪われていたのだろう。


そして、買い物さえも一緒に行ったことは殆ど無い。
買い出しは勤めていた母が、帰りに済ませていたっけ。
単身赴任家庭で育って、母は孤軍奮闘して子育てしてくれたのに、
当の娘の私はのほほんと出された物を食べて大きくなっていた。
今から思うと、なんて馬鹿な娘だったのかと思う。
味噌汁一つ、総菜一つも手作りすることなく、
「郷の晩ご飯は何かな」と待っていた。
せいぜい米を洗って炊飯器のスイッチを押すぐらいで。


我が家のエンゲル係数は高い、と思う。
たまにしか会えない家族が一緒になるとき、お出かけで外食。
奮発して食材を買って料理。予算を超えて贅沢をすることもある。
時間とお金、お金と時間。両方とも上手く節約出来ればいいけれど、
まだまだ修行が足りない。
でも、いつの間にか「塩麹の肉を買っておいて、炒めてもいいし、
煮込んでもいいよねえ」と言ってくれる娘が側にいる。


どんな料理にしようかなと考えてくれる娘がいる。
「今日の味付けはこのあいだ薄かったからと思っていたら、
酷なり過ぎちゃった、やっぱり・・・」と悩んだり落ち込んだりする。
そんな娘が帰宅を待ってくれている。御飯を作りながら。
娘と週に一度買い物をする。買い出しをする。
何を作るか相談しながら歩く一時、夕暮れはとっくに夕闇。


「今日は早く来過ぎちゃったねえ、まだあんまり値下げしていないねえ」
ピアノ帰りの娘と待ち合わせる駅前の本屋で漫画を立ち読みの娘。
その横顔は、かつて自分もそうだったのかと苦笑いしてしまう。
スーパーに来ると、一丁前に値段を考えて悩む姿に微笑んでしまう。
頼もしい娘になってくれ、そう思う。
かーちゃん、ちょっと人より年取っているから、
一緒にいられる時間も教えられることも限られているから、
だから・・・。


買い出し時間、僅かな時間でも、肩を並べて、カートを押して、
くっついたり離れたりしながらゆるゆる歩ける時間は、
とても大切でとても愛おしい。
私と娘の時間なのだ。その後、帰宅して戦利品を並べ、
冷蔵庫にしまい、棚に置き、料理して並んで食べて、
片付けをして、一服するお茶を娘がいれてくれる、
その2時間ほどが、週の中で一番素晴らしい夜。
買い出し日の夜。

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