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酷い演劇発表会

中学生の演劇大会を観る。中学生といえども侮れない。
劇を、もとい舞台を志す者には、子供と言えどそれなりの世界感がある。
自分の世界を2Dではなく3Dで、それも他者との生身の協力の下で
創り上げていこうとする気概がないと成り立たない。
そして、それを指導する側もクラブ活動とはいえ、
その世界感を共有、補填、バックアップするのが当然と言えば当然なのだが。


学生演劇と言っても、大学生の劇ではない。
まだ、中学生なので、教育的指導が当然入る。部活動だもの。
外部のアマチュア劇団や、プロ養成の劇団とは違う。
やれることには束縛があり、制限は付きもの。
まだまだ発展途上国の中学生。
発音も、滑舌も、演技だって若いと言えばいいが、未熟の塊。
それでも、良い演出、良いストーリーの元に中学生らしさ、
問題提起、ある種の達成感を舞台で見せてくれる。
だからこと、若い人の劇も楽しみに観るのだが。


今日は酷かった。全ての劇が酷かったわけではない。
たった一つの劇を観て、それまでの気持ちが全く飛んでしまった。
中学校演劇の指導者にはそういう類の、そういう連中がいるんだ。
指導の名の下に、殴ったり蹴ったりするような演出でも
振りも入れず、効果の音声も入れず、生で素手で殴らせるような、
そんな演出を平気で行って、公の舞台にかける先生がいるんだ、
そう思っただけで、がっくり来た。


実際に殴られる者の痛み、役柄上とはいえ練習も含めて理不尽な痛みを負い、
役者ならそれは当たり前と、中学校演劇の場で教えているのだろうか。
劇の内容も酷く、何が言いたいのかわからない、
悪く言えばお互いの中で充足しているのかどうかともかく、
漫画チックな独りよがりな盛り上がりと展開で落ちが付く、
指導も演出も何も手が加わっていない、
生徒に好きかってさせただけで舞台に載せた、そう見て取れた。


生のびんたの音が舞台に響く、それも2度。
客席からは驚きと非難とのどよめき。
決して感動などではない。
感動など何も誘わないストーリーなのだから。
単に主人公が役者を殴る。
頬は腫れなかったのか、唇は切れなかったのか、
鼓膜は破れなかったのか、一体どういうつもりでこんな危険な演出を?


こういう舞台を平気で公の場に持ってくる、これが中学校の演劇か。
これを併記で指導している無神経な先生に教えられた生徒達は、
学校演劇をどのように受け止めてクラブ活動しているのだろう。
自分たちが行っている危険な演出を止めもせず容認? それとも奨励?
運動部の部活動の行き過ぎが世間で取りざたされている昨今、
文化部にはそういう危険は少ないのだろうとタカをくくっていた、かーちゃん。


こういう先生に習っている中学生、こういう部活をしている中学生。
良い演技のために何か犠牲を払うことが当たり前だと、
暴力的な演出も、やりたい放題にさせている、
教育的配慮も指導もないまま野放しの生徒、もしくは先生の傲慢、怠慢。
こういう現場に自分の娘は身を置いているのかと思うと、
中学生の母であることが心に重い。
こういう教師と対峙して行かなくてはならないのかと思うと、
こういう教師に子供を任せて行かなくてはならないのかと思うと、
そして、誰もクレームも疑問も差し挟まないのかと思うと。


これが中学校の演劇大会なのか。
話題を取ればいいのか、意外性で訴えたいのか。
自分なら許されると思っての演出なのか。
様々な舞台を愛してきたけれど、
平気で人を殴る、素手で張り倒す、そんな演出を生徒にさせて、
平然としている教師の神経が信じられない。


むろん、学校現場にいる人たちは色んな人がいるだろう。
熱心な教師もいるだろう。
でも、熱心さを隠れ蓑に、こういう舞台を掛けるクラブ顧問を、
教師として信頼、尊敬なんて到底出来ない。

幕が上がる

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演劇やろうよ!指導者篇

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