Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

私の知らない中之島 

中之島バンクス Saint-Louis Amuse、初めて行く場所。
ちょっと徘徊しないうちに、どんどん町は変わっていく。
家人が転勤してから一緒にあちらこちら出かけることもなければ、
わざわざ用事を作って大阪市内に出向くこともめっきり減った。
資格を取るための勉強会も無ければ、無理に予定を作ることもない。
交通費は馬鹿にならない。
しかし、職場からは離れていたい。
自分がどんよりした気持ちになったまま、帰宅したくはない。


  


家人が転勤し、私が転勤し、本当にこの年回りはきつい。
娘が3つだった時もそうだった。家人の転勤が先に決まり、
次の春は私が転勤。
そして娘が小学校入学時に、家人が転勤。
娘が中学生になれば、また転勤、
2年生になって私も転勤。


  


中之島は古くて新しい街。
私が学生のころに見た面影は殆ど残っていない。
仕事で訪れることがあったロイヤルホテルも、今は名前も変わり、
さて、中はどうなっただろうか。
その向かいにあるという、川向う、川中、中之島バンクス。
せっかくのワンドリンク付きのおしゃれな勉強会に遅刻。
とにかく、初めて訪れた場所にどうやって行けばいいのか、
市内に出るのに随分手間取ってしまった今日。
職場は交通の便の悪いところにあるから困る。


  


間宮デザイン」のリバーサイド空間で「大阪はデザインで面白くなる」を考える。
講 師/間宮吉彦(空間デザイナー)とのこと。
数年で島民におなじみとなった風景、
堂島川沿いの遊歩道に建つ「中之島バンクス」の黒い箱や、
中之島ダイビル」のゆったりくつろげるパブリックスペース。
残念ながら、全くの門外漢も甚だしい私。
その建物さえも夜の闇に紛れて殆ど見えない。


  


両者を設計した間宮吉彦氏は、1980年代から鰻谷の[マーブル](1985年)
なんばの[QOO](1991年)、南船場の[ハックネット](1996年)、
堀江の[ミュゼ](1998年)、神戸・旧居留地の[E.H BANK](2001年)、
法善寺の[正弁丹吾亭](2003年)など
「街の顔」となる店を次々とデザイン。
最近では[あべのハルカス近鉄本店]の環境デザインや
堂島川北岸の「中之島にぎわいの森プロジェクト」などを手がけ、
30年間一貫して「人があつまる空間」を創り続けている人、だそう。


  


なぜ拠点を大阪に置くか。
「大阪はデザインで再生できる」が目標らしい。
まあ、過去の大大阪時代の近代建築ばかり巡り歩いていても、
再生には程遠いことは確か。
新しいコンセプトのもとに、誰から主導権を握り、
声を上げないと動かないのは確か。


  


しかし、気分的に落ち込み続きの私には、飲み物付の企画、
「おっされー(オシャレ)」な企画は敷居が高かったようだ。
アルコールは飲めない。車を地下鉄の駅前に置いて来ているし。
入った瞬間から、気持ちがすとんと醒めて、
夜のバーのような暗い中で人の話を聞くのがしんどくなった。


  


何だかレストランの2階で、
飲み物付きで洒落た企画だなと思ったのも束の間、
自分自身から疎外感を抱いてしまった。
このお洒落な感覚、私には縁遠い感覚。
街の変化から疎外された人生を送ってきたみたいで、
氏の業績の素晴らしさに納得するよりも、
あれをしたこれをしたの雰囲気に流されて、
余計鬱な気分になり、うんざりしてしまった。


  


心に残ったのは、外に出て夜風に当たって見えた夜景の素晴らしさと、
こんなもので来ていたのかとびっくりした、牡蠣小屋。


  

  


間宮吉彦の「間」   店=街の空間デザイン録

間宮吉彦の「間」 店=街の空間デザイン録

Spaces & Projects×100

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