Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

昨日から明日へ

そうだ、明るい話題は待っているだけではやって来ない。
明るい話題、楽しい話題は、人からもたらされるものではなく、
自分で見つけてくるもの、ふと気づくこと、気づかされるもの、
もしくは、自分が関わることで生み出されるものだから、
受身でいる限り、哀しい話題に翻弄されてしまう。


娘よ、私があなたといて、あなたが私といる。
小学生になったのに、まだ膝によじ上ってくる、
そんな甘えたの君の重みに、「幸せ」を感じ、
柔らかな髪に、お日様のにおいを感じる。
元気の素、私の生活の潤いの素の娘よ。


私は、君の生活の「幸せ」の一部であるかい?
私は、君の食べ物の「おいしさ」の素であるかい?
私は、君のお布団の「ぬくもり」と似てるかい?

悲惨な時でさえ、人は人の優しさを感じ、感謝することができる。
人は人の勇気に力づけられ、明日を造ろうという意欲を抱く。
哀しみの涙は、全てを押し流していく。
自分だけが海辺に打ち寄せられ、見捨てられた何かのように
ざらざらとした思いをまとっている、と感じてしまうのに、
いつのまにか、風が乾かしていく、波が削っていく。
心の傷を、とげを、うずきを、目立たなくしてしまう。


娘よ、お互いがお互いの光であるように、生きていよう。
手をかざせば暖かく、見上げれば少しまぶしい、
そんなふうに、歩いていく道を照らそう。
お互い歩く道は違っていても、自分自身が光になれることを忘れずに
ゆっくりゆっくり歩いていこう、道端の花を見つけ、
小さなせせらぎに耳を傾け、緑の風を両手に受けて、
自分自身が光であることを忘れずに、ゆっくりゆっくり歩いていこう。


自分の中に、見つけよう。一方的に与えられるものではなく、
やり取りされる、心の会話の中に、独り言の中に、つぶやきの中に、
あなたを支えるものがあり、私を支えるものがある。
支えあうことができるのは、自分で自分を支えることができるから。
あなたがあなただと、はっきりしているから。
私が私だと、はっきりしているから。


伝えたいことがある。学んで欲しいことがある、感じて欲しいことがある。
そして、信じて欲しいことがある。
けれど、それは一方的に押し付けることではなくて、
自らの方法で読み取り、聞き分け、その感触を確かめるものだから。
自らの方法で、創り上げるものだから。
誰にも真似できない、あなただけのやり方で。


人と関わる時、共に居る時、語り、見つめ合い、笑顔を向けて、
抱き合い、言葉を交わす。
言葉の花を咲かせる時、哀しい話題ばかりではなく、
新しい側面、明るい側面から、自分も人も推し量り、見つめ直せる、
物も時代も見極めることができるような、
そんなあなたの成長を、夢見て、祈る。

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

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