Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

入院顛末9/25(月)

早朝、朝一からの採血。少しは金曜よりいい結果がでて欲しい。
痛みそのものは引いて来ているし、腫れていた範囲も減ったと思う。
あれだけの激痛と反応が出ていたにも拘らず、腹部は硬くならずに、
柔らかいままだったのが疑問。ま、その方がいいんだけれど。
とりあえず、再検査待ち。


病気になったのは、体を休めるようにというサインだということが
頭ではわかっていても、仕事に戻りたいと思う。
そうしなければ、職場での居場所が無くなってしまう
そんな不安の方が大きいから。
自分が手がけていた部分が、思い通りに引き継がれるはずが無いことは
経験上わかっているから、(単に時間的な穴埋めが殆どになってしまう)
余計に苛立ってしまう。タイプA では無いはずなのにね。
全く、周囲に申し訳ない。非戦闘員になってしまったという事が、
ある意味、本当にストレス。(自分のせいなのにね)
というか、ここに転勤してから、ついてない3年間。


知識ではわかっていても、自分の体の中の声を聞けなかった、
という事か。違う、聞くのが怖かったのだろう。
今ここで停まってしまったら、去年、病休・介護休暇で抜けた穴を
埋められなくなってしまうと、思い込んでいたせいなのだろう。
体が疲れていたのは、わかっていたはずなのだ。


家人の入退院、転勤、引越し、娘の小学校入学・・・、
自分の仕事・勉強、
あれもこれもしたい、しなければ、走り続けなければ・・・
どこにも行き着けないような、そんな不安に駆られるのは、
去年から、時間的な未来を信じていないからだろう。
去年から、自分の中では、時間的な未来がどこか絵空事のようになって
「ゆっくり」と「いそげ」がネガポジのように、すぐに反転してしまう
程よい調和よりも、対立の構図を取ろうとしてしまう。
家族も家庭も仕事も、結局中途半端になってしまった。
なんと狭量な、「病気」を招き寄せた、「私」よ。


「私」は、仕事に自分を見出しすぎる。
自分の存在意義を。でも、それは当たり前のこと。
子育てが楽しいのも、子供がいとおしいのも、
今の自分あっての、今の仕事のやりがいと表裏一体になってのと
自分勝手に捉え過ぎてしまっっているのだ。
仕事をしない私でも、「私」ではないのか。
「母」ではないのか。「親」ではないのか。

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

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備え付けのインターネットの件で、全く連絡が無いので、
週明けになって私が入院保証金、その他諸手続きの書類提出の際、
部屋からのLANケーブルの不調について問い合わせ。
NSからは 週明けに業者に問い合わせるよう、総務に連絡していた。
にも拘らず、総務の中では連休中にクレームがあったことは、
把握されていなかった。午後に私が直接総務に訊いてみて、
業者が機械の不備を知っていながら、取り替えず
(取替え予定の有る無しの連絡も入れず、)
総務に連絡が無かった事が判明。
事態を把握できていなかった総務、機器レンタル会社の慌てる慌てる。
結局、他の部屋のロッカー付きテレビ・冷蔵庫ごと交換となった。


新しい病棟、最新設備の有る大部屋、が泣くよ。
私が問い合わせなかったら、業者は次回の保守点検まで黙っていた?
こっそり機器交換しているつもり? 真相はわからないけれど。
連日アップお百度参りしようと思っていた事ができなくなった、
私の恨みを買ったね。うん、確実に。(笑)
テレビカード1枚ぐらいサービスできんかね?(半ば本気)