Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

9/30(土)入院9日目

昨夜、家人が珍しく差し入れ。関西に引っ越したせいか、
病人に、駅で仕入れた551の蓬莱の肉団子を持ってくるとは・・・。
自分が味見して帰っていった。やれやれ。


診察前に来て下さった主治医曰く、食生活に気を付けようが、
憩室は増えることはあっても、減ることはないし、
加齢と共に増えるので、今まで通りに生活して下さいとのこと。
普通食に戻す指示を出すのを忘れていた! と焦っておられるので
退院までずっとおかゆでいいです、とお願いした。


帰宅すれば自分だけ、和食なんてこと、きっと出来ない。
パンでもいいが、できれば朝食はシリアルか、御飯と味噌汁で
と思っているのに、両親は食パン目玉焼きコーヒー派。
同じ物を食べないと機嫌が悪いから、用意する側としては難しい。
食糧難を経験している両親は、山のように食卓に何でも並べると
ご馳走だと思っている節がある。こちらの好みも年齢も無視して。
ありがたいが、非常に困る。食べ合わせも量も、全く困る。
洋朝食は、卵を使うのならフレンチトースト、もしくはココット、
コーヒーよりフルーツジュース、ミルクたっぷりの紅茶派なのだ。


おかゆに和食の、上げ膳据え膳の生活は、今の私にはありがたい。
帰宅すれば、そういう訳には行かない。また、安静など確保できない。
昼間の騒音と振動と低周波と、空気の悪さに悩まされる住宅環境で、
心安らかにいられるかと思うと、憂鬱だ。その点、病室は天国。
空調が効いていて、静かで、お昼寝も出来る。信じられない生活。


土曜なのでPTの先生方もお休み。午後からは小児科の夜診のみ。
とても静かだ。初めて2Fに階段で降りて探検して歩いてみる。
それから1Fへ。新聞を読んで階段で上まで歩いてきたら、
病室へたどり着くまでに、息切れした。予想以上に弱っている。
腹部の痛みが減っても、これか。なるべく少しずつ意識して、
ベッドの上で体を起こして、座る時間を増やしていたのに・・・。
薬剤師のお兄ちゃん、明日からの服薬1週間分持ってきてくれる。
白衣は着ているけれど、そのあごひげとメガネを見ていると、
どう見てもブティックのカリスマ店員、イケメンファッション。


看護師さんも一巡して、知っている顔ばかりになった。
駆血帯も聴診器もこの頃はカラフルで、見ていると楽しい。
水色、赤紫、ピンク、黒、人と同じ色は嫌だからと笑って言う。
特にここは、看護師さんもパンツスタイルで、胸ポケットの付いた
袖なし割烹着のようなエプロンを重ね着しているから、
白一色の中、カラーの小道具はアクセントが効いていて、いい感じ。
介助の人は水色、お掃除の人は緑、きちんと色分けされている。


T字型の構造、エレベーター前中央部にNSはある。
NSは奥の回復室と直結していて、一般の見舞い客や入院患者が
その前を横切ることは無い。NS前は食堂兼談話室で、
見通しの聞く丈の高さの植木鉢で囲まれ、車椅子でも余裕なので
ここで食事を取る患者も多い。


昼食後、「純情きらり」の最終回を見て、涙、涙。
昼間テレビが見られる生活。
寝るつもりは無かったのに、いつの間にかお昼寝。なんて生活。
4時半、娘と家人来る。差し入れは、映画「フラガール」のパンフ。
関東に転勤した1年目に行った、スパリゾートハワイアンズ
けっこう楽しかった。http://www.hawaiians.co.jp/
読もうと思っていた矢先、高校時代の友人、見舞いに来てくれる。
食堂兼談話室で、みんなでムースケーキを食す。娘と家人帰宅。


夕食を食べながら、友人と話し込むこと、3時間に及ぶ。
夜のピクニック」の映画に行きたい云々から始まり、延々。
おいおいおい・・・。まあ、久しぶりに会ったんだけれどね。
部屋に戻ったら、消燈時間には早かったのに、真っ暗だった。
身繕い。もし、起きていられたら、こっそりチャングムを見よう。
テレビカードも使い切ってしまおう。ふう、・・・疲れた。贅沢!

夜のピクニック (新潮文庫)

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