Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

夜のピクニック

職場に復帰するので、諦めていた外出、映画鑑賞。
しかし、入院騒ぎ以来この方、よくよく考えてみれば、
新しい映画が次々と上映される。
この週末ともなると、・・・近くのシネコンで打ち切られる作品。
夜のピクニック」だよねえ、ロングランには、なりえない。
今時の若者に、それほど受けるとは思えない。
やっぱり、郷愁を感じさせる、セピア色の内容だから。
1960年代生まれ、までだろうと思う、正直、受けるのは。
1970年代以降の人に受けるとしたら、青春の疑似体験?の
時代が違う・・・感じがする。


大体、この映画のシリアスな雰囲気を何とか変えようと
挿し色で使われている音楽が、今時の若者にわかるかな?
ハードロックのBGM、懐かしい70年代の音色、
映画「プラトーン」「地獄の黙示録」のパロディ、
そういうのを楽しみながら、見ることの出来る年代用の作品。
過去へのオマージュ。
携帯電話もゲームも無い、髪を染めたりすることのない時代、
そういう時代の青春を、・・・今時の若者がわかるのかな?


そう、携帯もポケベルも使わない、電話がせいぜい、
かけるのにも勇気がいる、直接口を利くなら尚更、
友達同士の会話も、ひそひそここだけの会話、交換日記、お手紙、
アナログな、情報交換の世界、内輪での盛り上がり。
記録されたり、再生されたりすることのできない、
その場限りの想い、会話、青春・・・。


今時の若者である主人公達、異母兄妹の少年少女役の、
「出生に傷ついている、気まずそうな表情」が、とても気に入った。
人生暇でやりたい事が見つからない、努力なんてダサい、
できれば楽したい、自分さえ良ければどうでもいいという、
そんなイメージから程遠い、もって生まれたしがらみを
望まないお互いの関係を、持て余して苦しんでいる、
その雰囲気は、映像としては出せていた方だ、と思う。
終盤近くの笑顔を引き出すためにも、全編暗めの方が際立つから。


歩き続けることに意味がある。物語の中でも、現実でも。
休み休みでも怪我をしても、歩き続けることにこそ、意味がある。
歩き続けることに走り続けることに、友人、伴走者、
パートナーが必要なこと、側に誰か居て欲しいこと、
誰でもいいわけじゃない、特別な必要な相手を捜し求めて、
一言でいいから、話してみたくて、わかってほしくて、
どうしていいかわからなくて、時間だけが過ぎて行って・・・。


物語や映画の中に、どうして自分の青春を見出そうとするのか
無駄だとわかっていて、重ね合わせたいものがあるのか、
余り考えると、「職業選択の自由」と同じくらい辛いものがある。
だから、必要以上に思いつめたりはしない、
打算的な大人の「知恵」や「習性」を身に付けてしまっている今、
この映画に、何を期待するというのか・・・。
でも、やはり映画館で見ておきたかった。夜中は貸切だったシネコン
もう、今の私には「夜のピクニック」は無い。
下弦の月の下、一人で車を走らせる。


ヴェリー・ベスト・オブ・ディープ・パープル

ヴェリー・ベスト・オブ・ディープ・パープル