Festina Lente2

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復帰4日目

もう、回りだした車輪は止まらないといった感じだ。
体が楽に動くというのは、気持ちがいいものだ。
もちろん、階段等ではセーブして動いているのだが、
立って仕事ができるようになると、見通しが利いて安心なのだ。


入試・就職関係の話題も耳に入る、この季節。
最近はオープンキャンパスや企業見学・セミナーが当たり前のように
開催されているようだが、私が高校生・大学生の頃は無かったと思う。
受験雑誌を読むことはあっても、その他、どこから情報を得ていたのか
さっぱりも思いだせないし、自分で努力もしていなかった。
試験を受けて、どこかに決まるもんだとしか思ってなかった自分。


非常に成績の良かった同級生が、親の転勤で東京に引っ越す予定だと
聞いた時には、推薦入試でW大に決まったと知ってびっくりした。
自分の高校から、W大に推薦で行けるなんてことさえ知らなかった。
同じクラブの男子もK大に推薦入試で決まり、へえーって感じ。
試験を受けずに、面接で行ける所があるなんてことさえ知らない。
予備校さえも行った事が無い。
高校や大学の進路相談室にも行った事が無い。
そういう相談をするものだという認識さえなかった。
情報を集めるという事さえ、思い至らなかった。


一昔以上前、「職業選択の自由」というフレーズのCMが流行った。
でも、私は学校を選択するための情報を、殆ど持っていなかった。
通学圏内の、同級生が受けるようなレベルの、学部。
本命と滑り止めと、出せる受験料の予算内で。
素朴で無鉄砲で怖いもの知らずでいい加減で、
ある意味つぶしの利かない、文学少女の無知な進路設計。
その延長線上に、今の職業がある。正直、それが事実。
なりたい職業、憧れた職業への学部に必要な科目が不得意だった。
それだけで、人生を軌道修正してしまった高校時代。
その程度の夢だったのか、憧れだったのか。


今、仕事で様々な出逢いがあるといっても、
自分自身職種や業種、その分野に関して具体的なことを
どれだけ知っているかと問われると、???だ。
平均寿命の半分まで来て、何となく判っているような振りをする。
聞きかじりであり、単なる知識であり、イメージ先行。
なのに、人の相談にのり、書類を点検し、水先案内にも似た
大胆なことをしているというのは、皮肉なことだ。


娘が、小児科のお医者さん、お薬やさん、花屋さん、保育園の先生、
お料理をする人、アイススケートする人、などなど口にする度、
メディアと見聞きしたことに、幼い頃から影響されているのがわかる。
自分は、どうだったのだろう? たくさん本を読んでいても、
その世界の主人公に自分を置き換える、具体的なことを、
いったい、どれだけ知っていたのだろうか?
知ろうとしていたのだろうか?
この歳になっても、知らなさ過ぎて「愕然」とする。


職業選択の自由」に至るまでの、人の心のソフトな部分を
どのように伸ばしていくかが、娘に対する親としての務めだろう。
しかし、仕事に関しては、なかなかにその「ソフトな部分」を
育成するには手遅れの感が強い。情報は与えられるとしても。
人は見たいものを見、聞きたいものを聞く。
そのもととなる「心」を、育てるのは、大変なことなのだ。


ちなみに、企業の採用担当者のプロでも、たまに犯すミス。
それは、職安に報告されるタブー。
親の年齢、親の職業、どこで生まれ育ったかを尋ねること。
だそうです。ご存知でしたか?
ま、「かえるのこはかえる」の時代ではないからね。
それにしても、人生が2度あれば、今の職業に就いただろうか。
正直、自信がなくなってきた、今日この頃なのだ。
いや、職業か、職場かな・・・。

13歳のハローワーク

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21世紀こども百科 しごと館 (全1巻)

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