Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

Y先生に

お医者さんは、いつもマスクをしている。お仕事だから。
お医者さんの顔って、いつもよく見えない。マスクをしているから。
うん、仕方が無い、この病棟は特別。この病室は特別。
時々、自分がばい菌の塊みたいに思えて、しんどかった。
でも、毎日会えないと不安だった。
クリーンベッドは、暑い病室の中では涼しかった。
先生も看護師さんも、いつもマスク。
部屋の中に入る時は、みんなマスク。
顔が見えないので、眼と言葉だけのお付き合い。


でも、いつもいつでも、先生は、マスクを付けていた。
顔を見たのは、転院した初日と、あと何回だったろう? 
2ヶ月以上もの間、素顔を見たことって、何回だったろう?
何回かのムンテラの時さえ、素顔を見たことは無かった。
それとも、私の記憶に無いだけなのかな。
先生の顔は、マスクとセットになっていた。
顔の半分どころか、ほとんど眼しか見たことがなかったなあ。


検査結果と共にやって来る先生は、顔の表情が見えない分
何を考えているのかわからなかった。
プライベートな会話もあったけれど、概ね真面目な仕事モードの仮面。
それを外すことは、殆ど無かった。最後に遭った時でさえも、
3度のコールに呼ばれて、忙しそうに去っていった先生の、後ろ姿。
それきり、会ったことは無い。主治医のY先生。


でも、いまだに大学のホームページに顔があるから、時々、見るんだ。
小さな写真のそのまた奥に、小柄な先生が写っている、笑顔でね。
知っているんだ、とても自分の仕事が好きだってことを。
知っているんだ、お父さんのあとを継ぎたいって。
父親の仕事をしている後ろ姿を見ながら育ったんだって、言ってたよね。
知っているんだ、上司で指導医の先生を、とても尊敬しているってことを。
ある意味、実の父親以上に父親なんだって言ってたよね。
とっても印象的な言葉だった。


知っているんだ、先生が結婚したってことを。
指導医の先生から、人づてに伝わってきたんだ。


先生、おめでとう。マスクをはずして、先生しない生活、持ったんだね。
素顔の先生が、どんな旦那様をしているのか、少し想像してみる。
笑顔、先生の、時たまほんのチラリと見せてくれた笑顔と会話を、
今でも覚えているから。
だから、ね。先生おめでとう。


きっと、もっともっと忙しくなるだろうに、と、相手の方のことも
考えちゃうよ、私。でも、そんなふうに想像させてくれるのは、
先生が、マスクの奥から、マスクを外していた時に、
「人間としての先生」の喜びや、怒りや、悲しみや、やりきれなさを
感じさせてくれたから。


「医者は、動揺を、絶対患者(とその家族)に見せてはならない」
っていう、鉄則を守ろうとしていたことを、私は知っている。
「マスクで涙をこっそり拭いて、耐える」と、話していたことを覚えている。
「・・・・・・というふうに、受け取られることの方が辛い」と、最後まで言っていた。
「・・・・・・としたら、僕から謝る」とも言っていた。
「僕たちには治す自信があった」って言っても、
完治じゃないことも、お互いわかっていること。


先生は、今もたくさんの患者を抱えて、マスクを付けているんだろうな。
良かったよ、HPに顔があってさ。お陰で、色々思い出せるもの、私は。
だから、強くなれる、少しはね。(めいっぱいではないけれど)
言葉や思い出は、おまじないの様なもの。その時の思い出につながる、
今でも積み重ねられている、諸々の想いへの、スイッチの様なもの。
で、私はマスクを見る度、思い出すんだ。
先生のことをね。
ありがとう、あの2ヵ月半。
結婚、おめでとう、先生。