Festina Lente2

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私は運が良い?

五体満足、痛みを感じなければ仕事もこなし、家事はいい加減、
でも、娘はかわいい、親もまだ何とか元気、家人も一病?息災? だ。
文句をいって何としょう? 受身でもあり、捨て身でもあり、
捨てる神あり、拾う神あり、情けは人のためならず。
この生活で何とか過ごす。毎日毎日、落ち込んでも回復する日々。


ストレッサー過剰、ストレス反応過剰、ストレス状態過剰、
フォローアップをお勧めします、はいはい。わかってますって。
でも、心配しないで。必要以上に。
誰でも通る道なのだから。
そう思って、生活しているのだから。



日々の糧を得るに足る仕事があり、
笑って食べて出かけて遊んで、ハグして、キスする。
毎日は、秋の陽射しの中で、今年の終わりを目指して進んでいく。
去年の今頃は、「明日はない」と思って生きていたのに、
目にする景色は穏やかで、平凡で、哀しいくらいだ。
耳にする世間のニュースがどんなに悲惨でも、
今、この現在目の前にある、暮れ行く景色の前では
何もかもが、穏やかで、平凡で、仕事の憂さとは裏腹の
日常日常したありふれた断面しか見えない。



心配事があれど、まだ、十分余裕のある毎日。
そう、私は運がいい。
居ながらにしてアフリカの景色を眺め、イスラエルの食卓を覗き、
人の書斎に入り込んで、蔵書点検をするが如く、書評を読み漁り、
パソコンの前でお茶を飲む。
人の落ち込みを、憤りを、決意を、悲しみを、やるせなさを、諦めを、
誕生日のニュースを、「義を見てせざるは勇なきなり」のご意見を聞き、
思いを馳せ、ひとりごち、反芻し、画面を閉じる。


発するものは少なく、受け取るものは大きい。
自分の生き方の受身であることに、忸怩たる思いがあるものの、
平凡であることから、一歩も動かぬ頑迷さが取り柄?


私が発信するものは、私の気持ちだけ。
何の特別な情報も、ありはしない。
世間の情報を必要以上に整理することもなく、
器用貧乏に取捨選択することも少ない。
流されているだけの、流されている記録を綴っているだけの
この日々が、余りに受身なので、劣等感に襲われる時さえあるが、
この平凡さが、ある意味、捨て身で生きていることに、
繋がっているような気がする、今日この頃。


辛いことでも、嫌なことでも、
楽しいこと、嬉しいことと同じように
自分の上を、自分の家族の上を通り過ぎていく、
この当たり前の不思議に、しみじみとする今日この頃。


あらすじで読む心を癒す名著―癒しの5分間

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