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手塚治虫の思い出

今日、11月3日は手塚治虫の誕生日だ。


手塚治虫に会った事がある。遥かな大昔、学生の頃。
「中ノ島」を歩いていたら、目の前でタクシーが停まり、
ベレー帽の人物が降りてきた。びっくりした。
横顔と後姿しか見えなかったのだけれど、誰だか一目瞭然。
隣を歩いていた彼と、ちょっと呆然と立ち止まって眺めた。
これから、医学部祭に行く、その直前の出来事。


そう、彼は医学部生だった。高校のクラブの1年後輩。
今日は手塚治虫の講演会がある。それでわざわざ誘ってくれたのだ。
私は熱烈とまでは行かないまでも、かなりのファンだった。
「マンガの神様」が私達に与えていた影響は、絶大だった。
何しろ、リアルタイムで手塚マンガで育った世代なのだ。
鉄腕アトム」「マグマ大使」「リボンの騎士」「ジャングル大帝」「悟空の大冒険
「ワンダースリー」「どろろ」「バンパイヤ」「不思議なメルモ」「海のトリトン
「三つ目が通る」「ブラックジャック」「ブッダ」・・・きりがない。


中学生の時は、ファンレターを送ったこともある。
直筆で返事が来た。感動した。次の歳のお正月には、直筆で年賀状が来た。
イラストと一緒に「お小遣いをためてコミックスを買ってください」とあった。
もちろん、今でも大切にその葉書は取ってある。



ブラック・ジャック 1 (少年チャンピオン・コミックス)

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後にも先にも、「中ノ島」を歩いた最後になった。この日。
それから、医学部が病院と共に移転した後、この夏、娘と訪れるまで
この地を歩いたことはなかった。封印の場所だった。
高校時代まで憧れた場所だった。自分にはとうとう縁のない場所。
後輩と共に、最初で最後の訪問となった場所。


古めかしい建物、気の弱い人にはお勧めできない展示物の数々。
普段の生活では余り馴染みの無いシロモノ。それでいてリアルな世界。
しかし、私には一つ一つが意味深く、許されれば手に取りたいほど見入った。
高校の生物レベルよりも、一歩深く踏み込んだ、その世界に興味津々。
そして、この世界に生きている後輩を羨み、嘆息した。


講演会は、階段教室であった。入室する前に整理券が渡された。
早めに、なるべく真ん中のいい場所を陣取り、今か今かと待ち構えた。
手塚治虫が来るというのに、その時、彼と話題にしたのは、
山岸涼子のマンガ、「天人唐草」だったのを、今でもはっきり覚えている。


やがて、先ほど見かけたベレー帽の人物が、
階段教室の谷底の真ん中に、とうとう現れた。
手塚治虫、その人だった。ひとところのふっくらした面影がやや薄れ、
面痩せしていたように見えたのは、その頃から既に
死病となった「モノ」が、彼の内部に潜んでいたせいかもしれない。


昔、NHKの『四つの目』だったか何かで、鍼灸か何かの話だったか、
ツボと、体に対する刺激の話だったか何か、うろ覚えだが、
手塚治虫がゲストに出ていたはずだ。
アナウンサーに気になる所は? と訊かれて
「胃腸」と言ったか、「内臓」と言ったか・・・
足だか足裏に治療を受けていたような記憶がある。
ブラックジャック」のBJも、確か「腸が悪い」とか言われて、
鍼を打たれているシーンがあったなあ、法師丸に。


講演内容は、はっきりと覚えていない。残念ながら、今となっては。
しかし、黒板に張られた数枚の模造紙に、次々と鮮やかに描かれた線は、
私達が熱狂したマンガの主人公達であり、ためらいなく描かれる曲線は、
十分に「マンガの神様」の神業ともいえるペン先を、髣髴とさせるものだった。
目の当たりに「手塚治虫が描いている」所を見る。
それが、どんなに感動し、興奮する出来事だったか、
拙い筆で書き表すことはできない。


手塚治虫は、年のせいでうまく曲線が描けなくなったのだと、こぼしていた。
昔はもっと早くきれいに描けたのに、残念ながら、
この頃はさすがに衰えてきてね、というようなことを話していた。
講演の最後に、数枚の模造紙に描かれた主人公達の横に、
次々をサインが入れられた。何と、くじ引でプレゼントするという。
くじ! この、講演会の整理券番号がくじ! なんてこと!
階段教室中が、ざわめき立つ。心臓がバクバクする。
番号が読み上げられ、「リボンの騎士」が、「鉄腕アトム」が
次々に、はがされていく。・・・、ああ・・・。


「・・・・番、・・・・番の方!」!!!??? !!!  私の番号だった。
転げ落ちるよううにして、階段教室の黒板の前まで、出て行った。
にこやかに手渡されたのは、模造紙に描かれた直筆サイン入りの「火の鳥」。
夢のようだった。夢かと思った。(人生の運を使い果たしたか?)
・・・「火の鳥」は、私のものになった。



その夜、どんなふうに帰ったか、覚えていない。
何しろ大きい巻物なので、持つのに苦労したのは覚えている。
その後、彼と何を話し、どこへ行ったのかも定かではない。
いつ頃家路についたのかも、覚えてはいない。
ただ、それから数年もしないうちに、彼は私の隣にはいなくなった。
世間はとても狭いので風の頼りに、彼が内科医なのは知っている。
高校時代から、言っていたように、初志貫徹?で、
循環器内科の道を歩んでいることを。


あの日の「火の鳥」だけが知っている。
今はもう、無くなった階段教室の隣の席で、
私がどんな気持ちで、彼の隣にいたかということを。
火の鳥」は、今も私の部屋にある。
大切に、しまわれたまま。

手塚治虫―まんがとアニメで世界をむすぶ (講談社 火の鳥伝記文庫)

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紙の砦 (手塚治虫漫画全集)

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「火の鳥」全巻特別セット(ケース入り)

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