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「いのち」と「こころ」

NHKスペシャルの新シリーズ『ラストメッセージ』、
11月5日から3夜連続、第1集「こどもたちへ 漫画家・手筭治虫」
・手筭治虫 ・アニメ ・いのち
今も圧倒的影響力を与え続けている「手筭ワールド」
=「いのちのメッセージ」をみつめてゆく。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/061105.html


昨夜、思いつくままに手塚治虫のことを書き綴ったら、
偶然にも昨日が彼の誕生日だった。
そして、NHKスペシャルの新シリーズのトップが、手塚治虫のこと。
(うーん、なんてタイムリー)
いじめや虐待、連日の自殺報道に心傷める人は多いと思う。
手塚作品には、そのライフワークである「火の鳥」を始め、
命を扱う作品が多い。医師が主人公の「ブラック・ジャック」しかり、
ロボットが主人公の「アトム」も、また、そうである。
彼の作品を通して、「いのちのメッセージ」を考え、見つめていく。
私もこの番組を、是非、見ようと思っている。


実際、いじめにあって落ち込んでいる人に、
何と言って励ましていいのか
この歳になっても、正直よくわからない。
辛くてたまらなくて、誰にも言えなくて、身動きが取れなくて、
誰にも会いたくなくて、何も信じられなくて、そんな自分の存在を
消してしまいたくなる。そこまで追い詰められてしまった人に、
どんな一言をかけていいのか、わからない。
それが、もしも、自分の置かれた立場であるとしたら。
自分の娘が、そんな気持ちになる事があれば、
親として何ができるだろうか、
どんな言葉をかけられるだろうか。
「心から愛している」と、抱きしめる以外に。


私の好きなブログでも、この問題を取り上げていた。
http://ckphoto.exblog.jp/m2006-10-01#4453815


私は、「いじめ」にあったことのない人は、
実は余りいないのではないかと思っている。
多かれ少なかれ、「いじめ」というものを経験しているのではないか、
それがいじめる側であれ、いじめられる側であれ、
「いじめ」というものと、全くの無関係で生きてきた人というのは、
余りいないのではないか・・・と思っている。


今は、いじめる側の話をしようとは思わない。
ただ、言えるのは、「自分から死んではダメ」という事。
「自分から自分を見捨てたりしては、ダメ」という事。
自分の持っている命を粗末にしてはいけない、
自分に命が与えられているということを、無碍にしてはいけない。
死ぬ勇気があるなら、生きる勇気を選んで欲しい。
(まだまだ生きたいと思っても、生きられない命があることを知って、)
自分の命を、大切にして欲しい、大切に。大切に。

きみのかわりはどこにもいない (フォレスト・ブックス)

きみのかわりはどこにもいない (フォレスト・ブックス)



宮城県人2世なので、関西で生まれ育ったにもかかわらず、
幼少期に話せたのは東北弁とNHK標準語だ。
単に、耳で聞いた言葉を覚えて、使っていたまで。
しかし、私立の幼稚園はともかくも、公立の小学校に入学した後は、
私の話し方や言葉遣いは、「いじめ」の対象に。


歯並びの悪かった私は、2年生ぐらいから歯の矯正。
給食時には、用意しておいたコップに外して入れ、食後にはめる。
4年生ぐらいまで、これも「いじめ」の対象になった。
3年生からは仮性近視、5年生、授業中だけ眼鏡をかけた。
これも「いじめ」の対象に。
当時は眼鏡をかけている小学生は、今と違って珍しい存在。


そういう「いじめ」があったことを、担任は知っていたのかどうか、
周りを注意していたとは、到底、思えない。
だから、私はある意味、教師をどこか信じられない。
教師とはいえ、指導能力などたかが知れているし、
限界があるのだと思っている。教師は万能ではない。
おそらく、教室内にある力関係など、当たり前すぎて、
教室内での「いじめ」、子供の力関係など、珍しくもなんとも無い。
大人から見て、心配したり、気にする対象ではなかったのだろう。
いじめられる側に問題があり、(協調性が無いとか?)
いじめる側は少々元気過ぎたり、(乱暴でがさつでも?)
そう思っておけば、丸く収まるとでも?
とにかくスケープゴートが、必要だったのだろう。


小学校時代の教師は、子供時代の私の眼から見ても、
「えこひいきする存在」いう印象が強かった。
もちろん、立派な先生も世の中に、いるはいるだろう。
だが、少なくとも、そういう当たりの「担任」を私は知らない。
小学校時代は、かなり暗黒時代だったと思う。


子供の世界は、何でもいじめの対象になる。
成績が良すぎれば「ガリ勉」と言われ、
できないと「落ちこぼれ」とけなされる。
スポーツが苦手だったりすると、悲惨だ。
私は浜育ちなので、走ったり泳いだりは得意だったが、
球技はからきしだった。(20代以降は、テニススクールに通って、
それから10年以上打ち込むほど、テニスだけは大好きになったが)
ボールが受けられず当てられてばかりいると、邪魔者扱い、
花いちもんめでも、欲しがってもらえない。


背が高くても低くても、少々太っていても痩せすぎていても、
その時の基準や流行に合わなければ、揶揄され馬鹿にされ標的にされる。
みんなスケープゴートが欲しいのだ。憂さ晴らしの対象を求めている。
子供の世界は、大人の世界よりもストレートに残酷だ。
陰に回ってこそこそいじめるよりも、もっと大胆にいじめる。


缶けりの鬼。目をつぶって数を数えている間、缶に砂を入れられ、
三つ編みのお下げを切られ、彫刻刀で指を刺され、
ストーブの火かき棒でランドセルに傷をつけられ、
持ち物を隠され、変なあだ名を付けられ、仲間外れにされる。
私は二つの校区の狭間の、「社宅」から通う生徒、
地元の土着の生徒の中では浮いている、ムラの中の「よそ者」。


いじめは多く、楽しいことは少なかったが、私には学校以外の場所があった。
ピアノやそろばんの習い事や、教会の日曜学校、YMCAの大学生徒の交流、
何よりも、幼少期から自分の世界を支えてきた読書の世界。
私は受身でおとなしく、自分から発信するタイプではなかったが、
いつも、目に見えない所から受け取るものが大きかった。


そう、私は運がいい。(良かったのかもしれない)
学校の中だけに自分を求めることなど、無かった。
(単に学校の中に自分の存在など、見出せなかっただけかもしれないが)
小学校、引越し、中学校入学、引越し、転校、高校入学、大学へ。
世界は広がり、友人は増え、次第に自由になり、私は自分の個性を満喫した。
人の世界を、自分の世界を、友人との交流を、部活動を、恋愛を、
生活を楽しみ、哀しみ、憂え、喜び、年月を重ねた。
そして今がある。


嫌な事があって、死にたいほど落ち込むことはあっても、
死にたいと思うのと(殺したいほど相手を憎むのと)
死のう(殺そう)と思うのとでは、全く話が違う。
人生に「もし」を夢見すぎて、ゲームのようにリセットして、
やり直しを望んだり、「死」を以って楽になろうとしたり、
「死」と引き換えに相手に一生覆いかぶさり、復讐しようとしたりする、
歪んだ死生観は、私の中には根付かなかった。


そう、私は運がいい。卑屈な気持ちになる時も無いではなかったが、
自分で自分を見捨てたり、諦めたりはしなかった。
誰よりも、自分で自分自身を愛していた。
自分を助けられるのは自分だけだと、強い信念を持てた時
既に、話せる師を見出し、友人もいて、支えがあった。
私には、「柳に雪折れなし」の生き方はできなかったが、
少なくとも「麦踏み」の「麦」にはなれたと思う。
挫折はあったけれど、「挫折=死」ではない。


命を粗末にする、そんな連鎖反応は、続いて欲しくない。
命をないがしろにするニュースが、テレビから流れる。
それを娘が耳にする。私は哀しい。
死んでいく命が哀しい。誰よりも自分で自分を見捨てる、
そんな若い人が沢山いるなんていう、
そんなニュースを、娘と共に聞く。それが哀しい。
死んではいけない。生きられる、「いのち」を決して捨てないで。

生きていてよかった (角川文庫)

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