Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

雨音を聞きながら

(実は画像も入れてアップする直前に、全て消えてしまったのです。
 大筋の文章だけは下書きがありましたが・・・オリジナルとは違うかも)


本日の・研修・勉強会ではお題の一つが「コミュニケーション」
大見出し、小見出し、小段落段落ごとの見出しをつけて、
できればどの事例にも当てはまるように、組み立てが必要だ
と説明を受けたのですが、小さな小さな部分にしか目が行かない。
そもそも、大局を見極めるということが苦手な私は、
この課題は「至難の業」であり、レジメを頂いた時点で、
見たくない聞きたくない身体症状―が出てくる始末でした。(笑)


計画を立てて、理路整然と話を進めるというのが、実は苦手な私。
かといって、行き当たりばったりの度胸もありません。
(年齢が開き直りを助長させている部分も多々ありますが、
本質的には外に出るのが嫌な余り、引きずり出されたり、
出なければならないとなると、反動で
攻撃的になるタイプ、だと自分では思っています)


メタボリックシンドローム予備軍に間違いない、
この、余分な内臓脂肪が、蚤の心臓・ウサギの耳・猫舌を
カバーしてくれる「鎧」であれば、
どれだけ有効なリサイクルかと思われるのですが、
残念ながら無理みたいです。
それどころか肉親からは、体型を見ただけで鈍感で動きが鈍い
役に立たないタイプだと、こき下ろされています。
身近な存在からの、遠慮会釈無い冷たい批判にさらされた挙句、
私が性格・生活態度を一変させる事ができれば、問題も無し。
気にする神経さえ無ければ、いっそのこと楽な人生なのですが、
残念ながら思うようにいかないのが、人の世の常です。


さて、打たれ弱い私です。
「外の世界」というものを、余り知らないせいもありますが、
「一つ」引っかかると駄目なのです、私。
けっつまづくと、次に進めないタイプ。
そこに石が、溝にはまった、坂道だった、穴が開いてた・・・から。
それが足だけではなく、頭、耳、目に対しても起こります。
とにかく、躓くと、もう前に進めない。切り替えが下手で、
レコードの針のように、いつまでも同じ音や言葉が響き続けます。
全く融通が利きません。これでは駄目だと頭ではわかっているのですが、
自分でもどうしていいのか、わからなくなるのです。


見たくないものを見て、聞きたくないことを聞いて、
これは現実、受け入れなければ我慢しなければと、
理性で封じ込めようとしてもできない、・・・という
(自分の個人的な)許容範囲を超えた経験をしてから、
この傾向は、ますます強くなってきたようです。


まず、ワープロの打ち間違い。
自分では「そう書いた」と思い込んでいるので、
何度読み直しても、字が間違っていることに気が付きません。
校正係がいて、「違う目」で見てくれればいいのですが。
話す言葉もそう。自分では「そう言った」と思い込んでいるので、
「違うことを言った」と指摘されたり、
自分で「え? 今、私何を言った?」と思ったり、
一人突っ込みをし始めたりすると、もう、駄目です。
事態を収拾しようとして、更に訳がわかんなくなったりします。
(絶対に失敗が許されないような手術をしなければならない
 お医者様にならなくて、本当に良かった・・・と思います 笑)
            


心理学では書き間違い・聞き間違いは、無意識のなせる業。
気を付けているつもりでも、そうなってしまうのは、
単なる不注意というより無意識の行動であり、
本来は隠れている「意味がある」と、みなす場合もあります。
では、ワープロタイプミスは? おそらく手書きよりも、
無意識の関与する割合が、少ないような気がします。
それにしても、タイプミスで済まない様な事態を招くと困るし、
何度見直しても、別の日に見ると、やっぱり間違っていると
いうこともあり、「見直したはずなのに、何故?」と、
落ち込んでしまうことになります。


自分の記事もコメントも、ミスが目立って恥ずかしいことが
多々あります。読み直して気が付いた時は、かなり後からでも、
直してはいるのですが。
こんな字の間違いをする奴だと思われたら・・・どうしよう?
ああ、あの字(キー)とあの字(キー)を打ち間違えたんだね。
そそっかしい奴だなあ。仕事もきっと、こんな凡ミスを
する奴なんだろうなあ。こんな非常識な表記をする奴とは、
付き合いかねる。なんて、一事が万事で評価されてしまったら
どうしよう・・・というように、
マイナーな時は、とめどなく落ち込んでいきます。


特に、私のように老眼がかかってくる年代なると、
目ばかりではなく、体の自由も「かつての自分の感覚」から離れて、
あちこちが思うように機能しなくなります。
何でもない所で躓く、そんな歳ではないはずなのに・・・
階段を踏み外す、一瞬立ちくらみがして、ヒヤッとする。
睡眠時間は足りているはずなのに、靄がかかったように目が霞む。
(眼科では焦点調節能力を補助する働きの目薬、とかいうのを出されました)


ごくごく普通の時は「あれ、またやっちゃった」
「あれ、あの人もこんなミスするんだ(良かった、
みんな同じような打ち間違いするんだ、ほっとしちゃった)」
「人の振り見てわが振り直せ、だよね」「あーあ、こんなことで
嫌われることは無いと思うけれど、穴があったら入りたい、
恥ずかしいなあ」「次は、もう少し時間を置いてから
見直すようにするとしよう」・・・というふうに、思えるのですが。
             

もっと哀しいのは、パソコン・プリンタを使うようになってから、
「文字化け」というものがあると、知った時でした。
一生懸命確認して、見直して チェックして、
下書きから清書したはずなのに、
完璧に仕上げたと思っていたはずなのに、
プリントアウトしたら文字化け。
最初はちゃんと出ているのに、ある時点から文字化け。
相手に送信したら、受信側の不具合で文字化け。
相手に読むソフトが無くて開けない・・・というのは、最近減りましたが。
たまに、こちらにも全く読めないものが届いていたりする時があります。


つまり、「細心の注意を払っている」と思っているにもかかわらず、
相手にはちゃんと正しく伝わらない。(読めていない・聞こえていない)
さらに、文字化けで、となると、幾重にもフィルターがかかり、
本質的な部分で、わかってもらいたいことがわかってらえない、
という事態に陥ってしまいます。
・・・何しろ、何かを言いたい時、書きたい時、聞きたい時は
「思い込みの丸投げ状態」に陥っていますから、それこそ、
聞く耳持たず、読む目も持たず、なのです。


言葉に出すコミュニケーションは、一瞬のうちに消えていくのですが
(この頃は、会話も再生可能になってきましたが)
文字は残ります。悪意無く、言い間違い・書き間違いが残ります。
訂正できれば、もし気が付けば、お願いだから直してねと
頼みたくなります。自分の方が勘違いしているのかな? とか
とってもマイナーな時は、まさか、意地悪じゃないよね・・・?と
気を遣い、疎外感を味わい、果ては被害妄想に陥ったりします。
軽い気持ちで書いてから、後になって
「私、こんなこと書いたの?」と思うことも多々。
さあ、こんな時どうすればいいのでしょうか?
それとも、こんなことで悩む時間はもったいないでしょうか?

いい言葉は、いい人生をつくる (成美文庫)

いい言葉は、いい人生をつくる (成美文庫)

安岡正篤一日一言

安岡正篤一日一言


誰も何も言っていないのに、「そういうふうに言っている」と
聞こえ出すと、精神医学的には少々難あり、
の症状にも関係してくるわけですが、
それに近いことが起こったことがありました。
家人が入院中、「良くないこと」の妄想に尾ひれが付いて、
時にはよからぬものが見えたり聞こえたり、まさに集中攻撃。
脳内エンドレステープ。これはきつかった。
頭ではわかっていても、どうすることもできない。
無視することもできない。どうすればいいんだ? 状態。


               
ちなみに私が工夫してみたのは、「別の音を聞けばいい」ということ。
柄にも無く、「揺れるイヤリング」を、複数購入しました。
はっきり言って、普段、アクセサリーは殆ど付けません。
(嫌いではありませんが、そういう職場ですし)小さい子供がいるし、
(引っ張られて壊されたこともあるし)家事をしなくてはならないし、
落っことすことも多いので、不経済。
(身体髪膚これ父母に受く・・・で、ピアスはしません)


でも、この時期だけは、「小さな音を立てて揺れるイヤリング」を
しました。意識して身に付け、イヤリングの立てる音を聴いている間、
耳に別の物が引っ付いていると、絶えず思っている間に
時間がたち、事態も好転し、心のざわめきが実際の声の様に
リアルに聞こえ、自分を苦しめることも、いつの間にか無くなりました。


・・・久しぶりに「ことばトレーニング」や「リスニングトレーニング」を受けて
ロールプレイをしたりすると、本日のお題に「気になって仕方が無い」
という言葉が入っていたせいか、雨の音がいっそう自分の耳に
色んな言葉を囁きます。今晩は雨音が強いので、
ちょっと暗めに、考えてしまったかもしれません。
この頃、ちょっと暗めの時が多いかも知れません。
これが、普段の私なのかも知れません。
晩秋の雷雨が私に囁いたことは、まだまだありますが、今日はこの辺で。

NHK「にほんごであそぼ」雨ニモマケズ

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中部ジャワのガムラン 青銅の輝く雨

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