Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

「ケータイ」は嫌いです

先々週の出来事だった。お弁当を忘れてしまったので、一仕事終えてから
詰め所に戻って電話に直行、食堂に電話をかけた。
(予約注文制なので、売切れになってしまったら困るのだ)
「すみません、neimuですけれど、お昼の定食お願いします。
御飯少なめで」電話を切ってすぐに、背後から声が掛かった。
「ああ、良かった。部屋に入って来た途端に、neimuさんが
電話に向かったから、また事件かと思ったよ。何事も無くて良かった」
普段は全く話さない人からの、思いもかけない言葉だった。


正直言って、ショックだった。
私が動く所、事件か? そんなふうに受け取られているのか?
待ってくれよ、冗談じゃないよ。・・・傷ついた、はっきり言って。
こちらからすると、何か事がある場合は「彼」は必ず消えていなくなる。
やれやれ・・・と思っていたのだが、そうか、そういう事だったのか。
連絡をして手配が始まった時点で、
            消えるタイミングを見計らっていたのか!?
なんてこった、2年半前に転勤してきて以来、同じ顔ぶればかりで
人のいない職場だと思っていたが。今にして思えば、そういう訳か。


当初、4月段階で、「担当者の問題を増やすな、会議を作るな」
と言われて、問題を見て見ぬ振りしている「野放し状態」に唖然とした。
元からの客層の悪さばかりではない、内部のモチベーションの低さに
愕然とさせられっぱなしだった。各パートでの悪戦苦闘の日々、
この電話の一件で、やはり、現実はこうだったのだな・・・と実感させられた。


問題が多発する前に予防策を立て用いるのだが、
その予防策さえも扱えないと尻込みをしたり、
敬遠したり、見て見ぬ振りをしたり・・・、
まあ、参加する振りをしておいて、実際には何もしないという事も。
当然、皺寄せは来るべき所に来る。
だから、同じ顔ぶればかりが集まるのか・・・。


客層は自慢できない。いわば、救急に酔っ払いが来て暴れているのと
余り大差無いような場合も、多々ある。
         信じられないかもしれないが、本当だ。
犯罪で言えば置き引き・器物破損・窃盗に相当するもの、
恐喝・脅迫・自傷行為に相当するもの。事件は起こる時には起こる。
外部からの連絡も入る。巡回に出る時もある。
就職したての頃は、これが職務内容かと思って唖然とする事が多かった。
当然、慣れない激務の衝撃の余り、体を壊した。


自分の健康を守る為には、体を張って前線に立つのは降りたい年齢。
しかし、職場の平均年齢が高くなる一方だから、この歳でも尖兵だ。
やれやれと思う。一人何役もこなさなければならないのは、きつい。
泣き言は言いたくないけれど、こういう仕事を全くせずに、
本業だけに専念、それどころか職場によっては「研究」可能な人もいる。
同じ給料でありながら、この職務内容の差は何だ? ということになる。


しかし、果てしなき徒労のもぐら叩きのように見えても、
叩かねばならぬものは、叩かねばならぬ。自分が引けば、自分も含めて
足場が無くなるのと同じことになる。
         堰が切れて決壊すれば、終わりなのだ。
ルーティンワークは、表の世界と裏の世界に分かれている。
微妙な表裏一体の元、「事件」のフォローに入ったり、会議となると
気分は「ダーティ・ハリー」の様に、殺伐とする時があるのは否めない。
映画のように格好良くはいかないのが、現実。

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今日も「携帯電話」を中心に、自傷行為も辞さない自己中心的な
病的で正気を疑うような言動にでる者を相手に、
本来の担当者が戻るまで、一触即発で向かい合う。
ただし、本来の担当者が、職場のルールを守るとは限らない。
「穏便にことを済ませる」という表現の元に、例外を作りまくり、
客層は更に我儘の利くルートを確保して、暗躍することになる。
困ったものだ・・・と思う。(しかし、彼は困らない。客もまた)


この後始末とその波及処理は、誰がするというのか。
その場だけで済まなくなって、現在に至る。
決して私は強硬派ではない。(そう見えるらしいが)
昔、英文法の時間に習った。「例外のない規則はない」
化学のブラウン運動。狭い場所に押し込めるのは良くない。
逃げ場は、用意しておいてやらねばならない。
幾つものシミュレーション。しかし、基本路線は一つ。
機械的な割り振りは出来ない。だからといって見逃しも出来ない。
その兼ね合いやバランスを、胃の痛む思いで諮る。


この職場にあっては、「携帯電話」の存在は、麻薬に等しい。
隠れた娯楽であり、ステイタスであり、なくてはならない必需品、
完全な依存の対象である。利用しているというよりも、
取り憑かれていると言った方が正しい。
禁断症状が激しく、「ケータイを持ったサル」と化して、
世間のルールや自分の置かれている状況を、
          見失ってしまうこと甚だしい。

ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)

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考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人 (中公新書 (1805))

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「欲望」を自己の「完璧さ」「潔癖さ」と置き換えて、
際限ない我儘を貫き通すことに慣れている、
ある意味、快感を覚えている者を相手にするのは大変だ。
自分の言動が「脅迫行為」であるとわかっていて、
自己の欲望成就のためなら、ルールを無視できるのが楽しいという
おかしな意味で「支配欲」を満足させてしまっているから、
私ごときではどうしようもない。
まあ、最近は、大なり小なりこういう症状の人は増えているから、
私ごときがじたばたしても、どうしようもないのだけれど。


「世界で一番長いへその緒」でつながっているという親子関係。
しかし、その親子関係や交友関係を支えているのは、
社会との接点になっているのは、「ケータイ」のみ。
「ケータイ」が第2の頭脳となり、もはや寄生され支配されている人間。
他にも問題は種々雑多にあれど、
その流れの中で起こってくる、様々な問題に翻弄されている職場。


当人の身も心も経済状態も蝕んでいる「ケータイ」は、
もはや子宮であり、へその緒であり、生命線であり、孵卵器であり
打出の小槌であり、どこでもドアであり、
唯一思うがまま、自分の相手をしてくれる存在であり、
必要不可欠な存在。


だから、私は携帯電話を持たない。その便利さも、わかるだけに。
持っているが、常に電源は切られている。私は、使わない。
敬して遠ざけるべき存在になりつつある、ケータイ。
その病に侵されている人々を見るにつけ、プライベートでも見たくない。
今の所、それが、ケータイ。
・・・これって「職業病」なんでしょうかしらね?

「職場ストレス」「仕事うつ」に強くなる本

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