Festina Lente2

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さよなら、モタさん

精神科医でエッセイストとしても知られる斎藤茂太(さいとう・しげた)
 さんが 20日、心不全のため死去した。90歳だった。」


帰宅したら夕刊に記事が出ていた。
時々書評やブログにも紹介し、大好きだったモタさんが亡くなられた。
家人が電話でも話題に出した。私がファンだって知っててくれたのかな。
そんなに特に話題にしたことはなかったのだけれど。
うん、大人になってからファンになったからね。


そうだなあ、・・・お勧め、というように、
どの本、この本、あのエッセイというように絞って挙げる事ができない。
私にとってモタさんの本の中の「どの話」というように取り上げて
固執するような話題云々ではなくて、語り口から受ける雰囲気が
(紙面から受ける雰囲気が、というべきなのだろうか)
何となく好きでたまらなかった。


祖父母と語った記憶を殆ど持たない私にとって、
お祖父ちゃんが、仕事に疲れた孫娘に語ってくれるような、
職場の大・大・大先輩が、話しかけてくれるような、
尊敬する上司が、やんわりと諭してくれるような、
うまく言えないけれど、そんな雰囲気に包まれて
著書を読んでいたと言えば、わかっていただけるだろうか。


東北をルーツに持つ、我が家系。そんな所でも親近感。
父の成人前に身罷り、会うことも叶わぬ父方の祖父母。
共に暮らすこともなく、数えるほどしか顔を見たことがない、
もちろん大人の会話をすることもなかった、母方の祖父母。
親戚すらも身近にいない、核家族の上、父親の単身赴任。
そんな環境で生まれ育った私には、年長者との生の接触というものが
極端に少ない。皆無に近いと言っても、いいかもしれない。


敬老精神は持ち合わせているが、今の自分の両親が世間で言う所の
「老人」だということに、ピンと来ない、それぐらいなのだ。
だから、知った時から既に「ご老人」の部類であられたモタさんは
ちょっとばかり、私の心の中の「理想のおじいちゃん」像でもあった。
(ちなみに、単身赴任で父親が側に居なかった、当時の私の、
 心の中の「理想の父親」像は、なだいなだ氏であった)


ちょうど、一昨日ブログで本を紹介したばかり。コメントも頂いていた。
私の世代だけではなく、もっと上の人もきっと読んでいると思う。
ビジネスマンにも、一般女性にもファンは多いだろう。
うつ病など、医学的な専門的な本はさておき、
お年を召されれば召されるほど、元気になられているような、
そんな印象さえあった。良い意味で年齢を重ねられた方だった。
作家としては、弟に当たる北杜夫の名を先に知っていたのだが、
結局最近までずっと読んでいたのは、モタさんの本だった。
幾つになられても「長兄」としての眼差しを持たれている所も、好きだった。

心をリセットしたいときに読む本 (ぶんか社文庫)

心をリセットしたいときに読む本 (ぶんか社文庫)

続・いい言葉は、いい人生をつくる (成美文庫)

続・いい言葉は、いい人生をつくる (成美文庫)


20代の初め、市民大学講座の泊りがけの行事で、なだいなだ氏と
ご一緒させて頂いた事がある。郡上八幡へ出かけた時だった。
モタさんとは、とうとう一度もお目にかかることは、無かった。
講演会等で直接お声を聞く、という機会にも恵まれなかった。
だから、紙面の上だけでのお付き合いだったのだ。
なので、涙が尽きぬなどという、激しい悲しみが突き抜けるわけではない。
しかし、悲しい。というか、寂しい。
自分にそっと声を掛けてくれていた、疲れた孫を子ども扱いせずに
世間話をしてくれた、おじいちゃん、のような存在を失ったようで寂しい。


娘よ、こういう寂しさもあるんだよ。
かーちゃんは、ちょっと今日、御飯の後、元気が無かった。
君にモタさんの話をすることは、無いかも知れない。
もしかしたら、あるかもしれない。
でも、君にはおじいちゃんの思い出がいっぱいある。
まだ、元気で君の側に居てくれるおじいちゃんとの日々を大事にする事が
本当に一緒に生活している人を大事にする事が、一番だよね。


うん、かーちゃんはそういう「おじいちゃんとの思い出」が無いんだ。
人の、よそのうちの会ったことも無い「おじいちゃん」の話なんか、
君にはわかりにくいよね。でも、いつか、話せるかもしれない。
話せなくても、まあ、いい。時々ママの本棚をごそごそし始めた君は、
いつか、本の背表紙に見つけるかもしれないからね。
たくさんたくさん、好きな人がいたんだなあってね。


娘よ、お休み。かーちゃんは、しばらく炬燵でじっとしていたい。

娘の学校 (中公文庫 A 14)

娘の学校 (中公文庫 A 14)

続 娘の学校 (中公文庫)

続 娘の学校 (中公文庫)