Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

休みと休みの合間のウダウダ

最近は連休を増やすためだとかで、月曜の休みが多いから、
仕事のバランスが取れない。
はっきり言って、「祝祭日」の休みは昔の方が良かった。
決まりきっている方が良かった。暦そのものに節度
(という言い方が許されるものならば)があって。
体育の日は10月10日(晴れの特異日だし)、
1月15日は成人式というように。
だから、木曜日に「勤労感謝の日」で休んで、
金曜日に出勤、土・日が休日となると、
今日のこの日は、何だか新鮮で嬉しい。(と感じるのが変なのか)


水曜日にイベントを終えて、肩の荷を降ろした解放感のせいか、
もう11月が終わるので、年末までの仕事の先行きが見えてきたせいか。
「花金」という言葉には縁遠い生活をしてきたが、家人の転勤以後、
金曜日に家族全員が集うとなると、心が浮き立つから不思議なものだ。


イベント結果について、色々その後のリサーチをする。
直接関わらない者、全く受身で受け止める者、
客層の反応を自分なりに分析して語る者、ねぎらいを述べる者、
最初から興味がないと一刀両断に切り捨てる者、
かつてそういうイベントに関わったので、計画を立てる側から考えられる者、
まあ、様々なので、その反応が面白いと言えば面白いのだが、
いわゆるリサーチをすると、「人物」がどうしても透けて見える。
仕事柄、そういうものを意識しないようにしていないと、実は疲れる。
様々な場面で、何かと周囲に「食い散らかされる」ことも多々あるし、
意外な所で理解者や協力者を拾えることもある。しかし、後者は稀だ。


普段の仕事での手ごたえを見ている限りでは、突発事項や異常事態、
イベント等の変則業務が入ったとしても、普段の対応とそれほど
その人柄・人物像が変わって見えることは少ない。
だが、これは恐ろしいことだ。
私の人に対する見方が固定化されてしまっているのか、
人が外に対して(意識的にも無意識的にも)見せている姿勢が、
それほどまでに決まりきったものなのか。
変化を読み取れないことも、変化が現れないことも、
どちらも私には、恐ろしい。
        


気心の知れた同い年の同僚は、ある意味転勤してきて日が浅い、
この職場に染まりきっていない人間だ。彼女が帰り際に言う。
「考え方も見た目以上に柔軟で、よく動いているのに、
 人に見せる正面は、どうしてそんなに堅くて正攻法なのか、
 損していて勿体無い」と言う。またか・・・。
こういう評価も昔からよく言われることで、余り変化が無い。


自分からしんどいところを探して求めて行っている様だ、とか、
堅くて頑固で強そうに見えるのに華奢で脆くて弱い、とか、
知れば知るほど面白いけれど、
それは利害関係の無い相手に対してだね、などなど。
(そりゃあ、当たり前じゃないか・・・。直接、仕事上の利害関係があれば
 気心知れて話すほどの距離は、慇懃無礼以上にありえぬ・・・)


同じ評価を、以前も今も、別の職場で得ていることに、
他人から見た自分の像に、ある意味変化が無いことにたじろぐ。
それが、どういえばいいのか、妙な安心感を伴ってはいるが。
以前と変わったと言われてもみたい。しかし、無理に変えたくも無い自分。
そう、人間はそう簡単には変化しないのかも。
実は、変化していても緩やかだから、気が付かないのだとしても、
流されて変わったとは思われたくないし、
自分が望んでいない方向に、変わったとは言われたくない。


そう、「変化」は思い通りにいくものではない場合が多いのに、
その「変化」でさえも、自分の思い通りにならなければ
納得できないのは、どうしてなんだろう。
わかりきったことならば、「変化」の内に入らないと言うのに。
(他人から見れば、わかりきった事ではないかも知れないが)
しかし、「変化」と言うからには他人の目からも明らかでないと、
「変化」とは言えないのではと、突っ込まれたらどうする?
ああ、また始まった。私の頭の中のウダウダ。

夢魔―内部空間からの来訪者

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「依存する人」を「変化を起こす人」にどう育てるか

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細切れの仕事の片隅に、少しパソコンをプライベートに眺め、
自分の入れた研修計画に、ため息をつく。
ゆっくりできる週末は、これが最後だ。
これから3ヶ月は月曜の夜に研修日を持ってきたので、
下手すりゃ土日月、仕事外の勉強を抱えることになる。
角度を変えて勉強をすれば、しばらく距離を置いていた事柄も
少々クリアになるだろう。好きでやることなんだから。
            

          
そう、火曜日の職員研修は人権研修だった。
持ち回りでお上が振る研修でさえも、参加意識は決して高くは無い。
参加する、というのは強制と同義であるという感が強いくらいなのだ。
様々な「ハラスメント」についてとなると、腰が引ける者はまだまだ多い。
以前の職場でもここでも、この手の内容に関して、
職場に直接関係しながら研修を続けるのは、ある意味疲れる。
全くしがらみの無い所で、別の顔を持たないと勉強が続けられない。
気持ちをリセットして、事に当たるのは、なかなか疲れる。
外側から調べ、内側から調べる。吟味する。検討する。諮る。
勉強は好きだが、会議は・・・嫌いだ。


仕事に少し、ため息をつきたくなる今日。
学ぶことと、仕事内容とが余り直結して欲しくないと思う日、
早く娘の顔が観たい。
そんな週末だ。

ハーブティーを飲みながら?くつろぎのウィンダム・ヒル・ジャズ・コレクション

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めぐり逢い Comme au premier jour

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