Festina Lente2

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誤解は困るので

「チーム・バチスタの栄光」を読むに当たって、
色んな読み方ができて、読むのが面白かったという事と、
カウンセリング的な分析・プロットが似ているという事を
単純に誤解する人がいると困るので。


実際のカウンセリングで、人の話を聴く場合
「受容」とは相手を批判したり、
冷たく観察したりするものではありません。
自分が経験していない事柄でも、相手の心に寄り添って
受け入れ「共感」するために、人の話を聴くのであって
「謎解き」に終始して分析するため、
人の話を聴くのではない
ことを、
念のために申し添えておきます。


カウンセリング的な手法と「似ている部分」があることと、
実際の「傾聴」とは、全く違うことを誤解しないでくださいね。
物語の主人公が「医師」として医療行為として、
患者の不定愁訴を聞いていることと、事件の聞き取りをしているのは
全くやっている事が違います。


って、何故こんなことを、いちいち書かなければならないのか
困ってしまうのですが、まあ、そういう事で。
心理について勉強するのと、(読み解いたり積み重ねたりするのと)
実際のカウンセリングは違うという事だけ、
誤解しないてもらいたいだけです。
本当にその仕事をしている「プロ」は、
人の心を分析して「操作」したりはしないし、
批判したりはしません。


医師が患者の「病気」を責めたりしないように、
カウンセラーはクライエントの状態を責めたりはしません。
クライエントが現状を把握する、混乱を整理する事を
手伝うために、質問する事があっても。
未来に向かって自立するためのサポートとして
揺らいでいる人の心の状態に寄り添う形で、
添え木になる事はあっても、
無理矢理詰問したり問い詰めたりは、しません。


主人公の言い方であれば、「その時がくるまで、
俺は黙って時のゆりかごをゆっくりゆする。」とありますが、
これは文学的な表現に過ぎません。
現実はもっと厳しい忍耐力のいるものであり、
「揺りかごを揺する手」―実際の医師の治療行為と、
カウンセリングとの類似点、相違点を、
文学的な表現から、そのまま鵜呑みに受け取り、
誤解されると・・・困ります。


職業柄、立場上、カウンセリング的な手法を応用して
お客さんに対応するのと
実際のカウンセリングとは、全く違います。
医療行為は、もちろんありません。
ある程度知識が必要なのは、「専門家」に
お願いするまでの、狭間に立たなければならない時も
まま、あるからです。(そういう職場です)
「危機介入」(緊急)に至るまで、見過ごしたり、
放っておかないためです。

プロカウンセラーの聞く技術

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精神分析的心理療法の実践―クライエントに出会う前に

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