Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

「チーム・バチスタの栄光」読了

久しぶりに字面が声を伴って台詞になり、
        脳内でこだまする様な作品を読んだ。
黙読しながらでもテンポのいい文章、
まるで俳句や和歌のようなリズム感のある文体。
主人公の視点から描かれるそれぞれの人物像、キャラクター造詣の妙。
やや小難しい専門用語が出てくるものの、読者を引き込む医療の世界。
舞台設定と役者は申し分なし。
演出は新人作家とは思えない見事なものだった。
巻末を読んで、当初「チーム・バチスタの崩壊」だったことを知り、
出版するに当たり、題名を変更したのは成功だったなあと思った。


とにかく面白いと評されるのが理解できた。
時間の合間に細切れで読んだが、頭の中から作品が消えていかない。
時間を置いても香ばしい。(かぐわしいという物ではなかった)
ぶれずに小気味よく揺れているような感覚、
読者を飽きさせずに、独特のアフォリズムとして織り込まれた、
短文の数々は印象深く、心憎かった。


「自分の名は、その人が一番耳にする言葉だ。その特別な言葉に対し、その人がどのように向かい合っているかを知ることは、生きる姿勢と知ることにつながる。」
「ルールは破られるためにあるのです。そして、そのルールを破ることが許されるのは、未来に対して、より良い状態をお返しできるという確信を、個人の責任で引き受ける時なのです。」


ほかにも色々あるが、主人公と食えない上司の言葉だけ抜いてみた。
ちょっと小太りで、強引なキャラは、面白いが好みではない。
まあ、トリックスターのようにいきなり現れて、色んな様相を見せて
物語を攪拌し展開させる、「物語」には必要不可欠な存在だが、
私個人としては好みのタイプではない。
主人公同様、この手のタイプは苦手だからだ。


主人公以外で、私好みなのは、病院長と隠れた一対である看護師だ。
この二人の存在が、私にとってはなかなか興味深い。
現実の職場に、このような存在があればなあと思う。
未来を見通す目と、十分張り巡らされたしなやかなネットワーク、
年齢と経験を重ねるからこそ「含み」を持てるもの・・・憧れる。


ミステリー小説そのものをあまり読まないので、
この作品がミステリーとして成立しているかどうか、
医療小説として極上の部類であるかどうか、というのはわからない。
何しろ嘘を書かれても、医療関係者ではないのだから吟味しようが無い。
ただ、個人個人の描き方、チームの在り方、人間関係、
仕事に対する姿勢というものは、
主人公の姿勢を通して、筆者の考えが見え隠れするので面白い。


不定愁訴外来の在り方は、お客さんを扱う私のもう一つの仕事に近い。
聞き取り方や観察の仕方で、パッシヴ・フェーズとして描かれていたものは
非常に興味深かったし、ある意味応用の利くものではあった。
まあ、社会調査の聞き取りのプロ、やり手のインタビュアーが
ターゲットから、その人物の普段意識していない
深淵・核心・内奥を「偶然の賜物」のように掬い上げてくる、
そういう手法とかぶさらないでもない。
それは、後からまとめてテープ起こしの時に浮かび上がってくるもの、
分析者の視点が生かされてくる所のものでもあるからだ。
その種の研究に付き物の「セレンディピティ」も必要かもね。
            


この物語風にいうならば、パッシヴ・フェーズの基本極意であり、
アクティヴ・フェーズの最終極意、
「すべての事象をありのままに見つめること」が、
「カウンセリングの基本」に沿っていることが、まことに興味深い。
「何も知らない」という所から始めなければならないと。
目の前の人の「語り」を、
言語的にも非言語的にも受け入れる所から始まる。
そういう意味で、この作品の主人公の視点と重ねて物事を見ると、
ある意味、仕事をしているような感覚を引き起こし、(錯覚だが)
自分との違いを感じさせるものでもあり、(比較検討できる)
作家が読者をひきつける手法として、
非常に有効な「セルフレポート」だと感じる。


マイクロカウンセリングのように、かかわり行動、観察、基本は傾聴と受容。
意味の反映、焦点の当て方、積極技法、対決技法、面接の構造化、統合へ。
取り調べ役・面接官・カウンセラーの分析力が試される場面。
パッシヴからアクティヴへ。本当に面白い。
研修・勉強会のような読書。こういう時間が持てるのは楽しい。
チーム・バチスタの栄光」は、私にとってはミステリーでも、
医療小説でもない。
エスノグラフィー的側面を持つ、基本に忠実なカウンセリングの応用だ。
癒しが必要なのは「人」ばかりではない。
組織も、時代も、物語そのものも、全てが「癒し」を必要とする。

マイクロカウンセリングの理論と実践

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この物語が、最初は「崩壊」と題されていたのに、
どうして「栄光」と書き換えられたのか。
トラウマをトラウマとして扱うよりは、次へのモチベーションとして扱った方が、
読者として読む側も気が楽であり、登場人物たちにも救いがある。
光が強ければ強いほど、その闇、その影も濃い。


登場人物の多くの関係性が、そして病院の内部機構そのものが
再構築されるための揺らぎと足場固め。そのためのスケープゴート
そのための悪役。彼の存在があってこそ、神聖な人命と医療行為は
欲望と興奮の悪意のサバトに変わる。狂気の祝祭によって、
血祭りに揚げられた犠牲者は、心臓を切り裂かれている。
全くもって、舞台演出効果満点な仕上がりだ。
筆者はどこまで意識して書いたのだろう。
人の心が宿る脳の機能を停止させ、
      肉体の鼓動を司る心臓を虚しくさせる。
「二重の死」をもってして犯行(反抗?)を重ねる悪役は、
自分の死を取りこぼす。主人公の介入によって。
そして、別の意味での「冷たい生」を生き始める。その名の示すとおり。


「言葉は輪郭を削る。人は自分の言葉で自分を削る。自分を自分の言葉という棺に閉じ込めてゆるやかに窒息させていく。氷室はそれを嫌って、言葉自体を削り取っていった。最小限の言葉で事実を鮮やかに描き出し、ヒトの心を縛る。医者だって壊れる。お見事。氷室はたった一言で、世の中を自分の色に染め上げてしまった」
悪役に贈る賛辞としては、極上の部類だろう。


何れにせよ、読者も物語と同調している限り「癒し」を必要とする。
本当に、「崩壊」ではなくて、「栄光」で良かったと思う。
幾重にも絡み合った関係性のトラウマは取り除かれ、
新たな生活へのモチベーションとして再構成される。
ある者はメスを置き、その仕事と役割を変え、妻とやり直し、
ある者は、兄と別れ日本に残り、自分の世界を切り開き、
ある者は結婚し職場を去り、それぞれに新しい展開、
生活、生き方、姿勢、指針、立場、諸々。
          


「物語」が定番の「大団円」を迎えるにあたり用意される、
事件を通じての「出会いと別れの公式」にのっとって、終章。
ちゃんと続編の含みを残している所が、読者を満足させる。
「癒し」の中にも、火種を持っている方が人生何かと楽しみがあるものだ。
全てをなだらかにならされてしまっては、面白みに欠ける。
作者としての、エンターティナーとしての、サービスも忘れない。


勉強と仕事以外で、久しぶりに楽しく美味しい読書。
読了。この言葉を使っても、なお読み返したい。
別の角度から「レポート」が書けるだろうから・・・。

チーム・バチスタの栄光

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クローズド・ノート

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