Festina Lente2

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君よ知るや布団の国

炬燵を出してしまうと、私は炬燵猫と化してしまう。
昔お茶やお花を習っていた頃、師匠は決して炬燵を出さなかった。
部屋が狭くなるし、一旦入ったら出るのが億劫になるから・・・と。
全くその通りである。私は元々がナマケモノだ。だから太る。
食べるのが好きだ。だから太る。炬燵から出ない。だから太る。
おまけにこの2週間、痛み止めが無くてもすこぶる快調。間食が進む。
ろくなことが無い、ろくでなしの生活なのだ。


北海道出身のブロガーいわく、
暖房設備が整っているので、炬燵は使わないとのこと。
そんな生活がしてみたい。冬場、各部屋に暖房器具(ストーブ)と、
居間には炬燵。母などは、電気毛布に電気アンカで寝ている有様。
私は幸い、そういうもののお世話にはなっていないが、
もっと寒さが厳しくなると、電気カーペットの上に炬燵が乗っかっていて、
ストーブを炊くという、世にも恐ろしい部屋になる。


当然、夜、読書をしたりものを書いたりしていると、炬燵に頼る。
自分の寝床(粗末なベッド)まで、たどり着けない。
娘が一人で眠るようになってきた昨今、この傾向は強まった。
一人三昧が楽しめる深夜を手にするようになってきたのだ。
従って、布団に入ると不自然な姿勢で読書となるので、
布団に入らない。(炬燵でうたた寝はするのに)
パソコンを使うとなると、布団に入れない。布団はいつの間にか、
やや良質の仮眠の場所であり、
純粋に惰眠を貪る、ゆりかごではなくなってしまった。


小さな子供を持つ母親ならば、添い寝をしたり、しょっちゅう目を覚まして
布団を掛け直したり、それが当たり前の生活。
熟睡や安眠などという言葉は、辞書に無い生活(のはず)だ。
(子供がどんな寝相でも気にせず、朝まで眠っている人間を見ると、
 よく眠れるなあとも思い、憎らしくもなり、
 仮に横にいる私が心臓麻痺で死んでも気付かずに、
 朝までぐっすり眠っているんだろうなあと思う)


とにかく、布団をかぶってぐっすり眠り続けるなどという生活は、
10年近くしたことが無いのが現状。当直医師とは異なるものの、
細切れの睡眠生活。だから、私はどこででも眠れる。
明るくても眠れるようになってしまった。会議でも居眠りする。
電車に乗っても居眠りする。時々運転中も眠くなる。危ない。
ストレスチェックでは、3分ほどで眠っている脳波だったらしいから、
明らかに睡眠不足は睡眠不足なのだ。

ふわふわふとん―やなぎむらのおはなし (こどものとも傑作集)

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フトンの国―ねむいねむい病とつまんなーい病

フトンの国―ねむいねむい病とつまんなーい病


家人の病は私のこの生活に拍車を掛けた。私は完全に過覚醒。
眠らなくても生活に困らないので、(やりたいことはたくさんある)
睡眠薬は不要である。しかし、体は疲れる。仕方なく、体を横にする。
仮眠。夢をたくさん見る。3、4時間横になっていれば万歳の生活。
深夜、映画館を徘徊する。TVやパソコンで遊ぶ。


憩室炎は、体をまっすぐ伸ばして眠るという生活に、一石を投じた。
体を起こしている方が楽なのだ。横にすると痛みが増すような、
腰痛が起きるような、そういう感覚がますます私を布団から遠ざける。
寝床は、いずこ。寝床は空っぽの巣だ。虚ろな私の脳みそ。
グリナを飲むこともやめた。仮眠だけの生活が続く。
             


本来私はぐーたらな人間。明日できることを今日したくない。
眠るのなら、軽い羽毛布団ではなく、被っているという実感が得られる、
どっしりした綿布団、ふわふわのマイヤー毛布、
石鹸の香りのするバスタオルを、枕カバー兼顔の周りに巻き、
白沢の夢でも見ている方がいいのだ。
悩み事やイライラを投影するような白昼夢ではなくて、
ハーレクインロマンまがいのオールカラーの夢を、3本立てて見ながら
寝くたれているほうが似合っている人間なのだ。
               

なのに、布団にたどり着けない。せっかく日に当てて干しても、
乾燥機でふかふかにしても、
もったいなくもありがたいお布団様にたどりつけない。
体を横にできない。座ったまま、寝ている。炬燵で寝ている。
読んでは寝、寝ては読み、考え事をして
思い出したようにパソコン画面に向かい、
あれこれ、あれこれ、あれこれ。不健康な生活。
もしも、炬燵のない、冷暖房完備の部屋が全室にあれば、
私は布団にたどり着けるだろうか?


身も心も温めるものがあれば、布団にたどり着けるだろうか?
娘の寝顔を見ながら、布団を直し、その横にもぐりこめば
ぐっすり眠ることができるだろうか?(これは無理、すぐに蹴飛ばされる)
風呂から出られない、そして、布団にたどり着けない。
「フ」の字と相性が悪いのか。フツウじゃないのか。不安である。
しかし、フガイナクモ、フツツカナガラ、フモウな生活を
続けていくだろう、この冬も。なぜなら炬燵猫の始まる季節だから。


誰か、私を寝床まで運んで欲しい。(重過ぎるが)
誰か、私を安眠させて欲しい、ぐっすりと夢も見ないで。
だから、ドルミカムの30分間は新鮮。
麻酔中毒者の気持ちが初めてわかった。
夢も見ず、何も考えず、何も知らないまま、自分も世界も消える。
どんな姿勢でも、痛くも痒くもなく、自分を意識せずにすむ。
悪魔の闇の中にある平和な時間に憧れる、軽い鬱で不健康な私。
白い天使の住む布団の国は、・・・私からは遠い。

究極の眠れるCD

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天使の詩

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