Festina Lente2

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ダッチコーヒーの午後

眠い、とにかく眠い。そりゃそうだ、連日炬燵猫でレイトショー。
殆ど眠らず娘の学童のお弁当作って、研修に出かけた。
本日、家人は通院日。大過なく、年を越せると有難い。
仕事はつんでいるので、プリントやメモ用紙、重いのに本、
そして、いつもフラッシュメモリをぶら下げながら歩いている。
駅で、一杯のダッチコーヒー。外を眺めながら考える。


本日の研修。承認の言葉。これは苦手だ。褒めるのとどう違うか。
時と場合によっちゃ単純に褒めても、承認になることもある。
しかし下手すりゃ、お世辞・追従・媚び・へつらい、ご機嫌取り。
相手が安心できるよう、居心地が良くなるよう、等身大でいいように、
否定ではなく、受容と共感の元に心を開くことができるように、する。


普段、何気なくやっていることが、これが、意識すると難しい。
説明や質問、無言で相手にプレッシャー、価値の押し付け、言い訳、
ありとあらゆる「やってはいけないこと」になってしまう。
先生からの注意。neimuさんには、緊張がなさ過ぎる。
何を焦ってそんなにすっ飛ばしていくのか、もっと落ち着いて。
            

だって、ロールプレイ苦手だから早く終わらせたかったんだもん。
幾つになっても、生徒の立場で甘えるなよ! 
と心の中では思うのだが、
いつもと違うシチュエーションを味わえる方が、楽しいのだから
私って始末に終えない、と自分でも思う。


私は、どういう承認の言葉を掛けてもらいたいのだろう。
誰から、どういう場合に、どのような形で承認されたいのだろう。
人によって価値観は異なる。
同じ言葉でも微妙に受け取り方が、変わる。
同じ満足、同じ安心感はありはしない。
「居心地の良さ」を感じられる場の設定、
という言葉で集約できるとしても。

クリスマス・タイム

クリスマス・タイム




今の職場で、家庭内で、母として、妻として、娘として、女として、
人間として、大人として、学ぶ者として、教える者として、
どんな形で、どんな言葉で承認されれば満足? 
そう、私は欲が深い。いつも飢えている。
だから、言葉を捜しているのだ。
時には、言葉を狩っているのだ。紅葉狩りならぬ言葉狩り
紅葉のように景色として愛でるのではなく、
自分に取り込み、自分を満足させるために。
          

ある時は醜く自分を甘やかし、ある時は清らかに浄化をする。
諸刃の剣のような言葉を、実は求めているのだ。
そんな利己的な自分自身を許容し、受容し、承認しながらでないと、
その次のステップに進めない。
何だか、パンを踏んだ女の子になって底なし沼に沈みながら、
自分に向かって落ちてくる一滴の涙を実感できる瞬間まで、
ずっと練習してみないといけないみたいだ。


求めていた一言さえあれば、一瞬で変われるのだ。
泥沼から小鳥となって飛翔できる。
そして、踏みつけたパンを償うようにパンくずを集める。
承認するのは、承認できるようになるということは、
人を受け入れるということ以前に、自分を受け入れることだから。
それは、自分にとっては罪をあがなう事にも似ている。
贖罪にも似た行為の元にある、ストローク


尊重され、高められ、必要とされ、守られ、良しとされ、
価値ある者として、大切にされていると実感できる瞬間、
人は人を受け入れることができるのだから。
でも、それは難しい。頭で考えてしまうと、とても難しい。


だから、せめて暖かい食事、暖かい寝床、清潔なお風呂、
生活の中での場を用意する。言葉の代わりに、気持ちを伝える。
「武士の一分」で、妻が夫の為につましい生活の喜びを、
一杯のお湯、一碗のご飯に託すように。

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