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清水眞砂子講演 メモ

これは、清水眞砂子講演「希望の側に立って」を聞いたメモです。
走り書きなので、まとめていません。
テープをとった訳でもなく、講演を聴きながらですから、
聞き間違いも多々あるかと思います。
清水眞砂子先生がそのまま話された言葉だと鵜呑みにしないで下さい。
お会いした印象は、「清水眞砂子に会う」に書きました。
講演内容は『幸福に驚く力』とほぼ重なる内容です。
清水先生の今までの講演をまとめたものですから、
内容としては、そちらの方が確かです。


学生から失われた言葉、全く聞かない死語となった言葉
希望・憧れ・憤り・怒り・気高さ
怒る、腹を立てるということをいけないと思っている学生達
受験生に至っては「憤り」って何ですかという状態
とうとうこうなったんだな・・・


学生が(生徒)が駄目になったのは、教育の世界の問題は
教師のせいか? 比較の問題なら政治家の方がよほどひどい
瀬戸内寂聴がTVで「今、先生が駄目でしょ」と言っていたが、本当にそうか。
仏映画『僕の好きな先生』定年間際の小さな小学校のドキュメンタリー映画
ゆっくりしたテンポの中での、生活に根ざした確かな成長。
地味な、誰からも評価されない仕事をしている教師が
フランスにも日本にもいるはず。
教育は日々の地味な、地味な、地味な仕事の積み重ね。


「いい先生になる暇も与えないで、何がいい先生だ。
いい先生になる暇も無ければ、いい先生になる時間も失くしている」
この言葉は友人の言葉を言い換えたもの。
「いい母親であろうと努力する余り、いい母親である時間を失くしている』
研修で先生から自由な時間、ものをゆっくり考える時間を奪っている。
「先生に、暇をやって下さい」と私は言い続けてきた。


教師とは「退屈する」ということを知っていないと、
子供に向かい合っていられないはず。
ゆっくりと休むこと、ぼーっとすること。それが大事。



短大の学生の言葉。
「いじめなんて、授業が面白かったら8割方無くなると思う」
児童生徒が学ぶ面白さに夢中になっていたら、いじめをする時間は無くなる。
しかし、教師の側に授業を作る、構成する時間が無い。
学校関係者の5分刻みのスケジュールには驚かされる
研究・自主研修の時間も無く、生徒のいない学校でも出勤していないと
欠勤扱い、研修として認められない長期休暇。


講演に出かけると、自由な質疑応答はほとんど行われず、
管理職が出てきて講演内容をまとめてほしくも無いのに、まとめる。
その下手さにまた驚く。(一同爆笑)
別の学校での教師の研修としての講演会でのこと。
「正しいか正しくないか、物差しを当てて測る空気」ひしひし。
講演後、著作の誤植を指摘する文章が送られて来て、びっくり。


入試でも、この問題に出会って良かったと思えるような出題をしたい。
単に問題を解くというのではなく、「出会い」を持つということ。
転勤して底辺校での2年間の経験。ほめられた経験を持たない生徒達。
よくそんな環境で生きてきたなと嘆息。
生徒指導の先生から「百姓の子だから何もわかっていない」
馬鹿にされ、自分の生活を語らなかった(語れなかった)生徒たち。
間違うことを奨励する教師であり続けた。
間違いを共有し、みんなの宝にする。


進学校の教師は楽。何も言わなくても生徒は勝手に勉強する。
底辺校では生徒がストレートに尋ねてくる。「何故、勉強するのか?」
教師は生徒に伝えなくてはならない。
学ぶとは何か、言葉とは何か、方言とは何か。
教室ではどういう「問い」を見出せるかが大切。


教科書選定に携わったときのエピソード
国語という言い方を日本語に直したい。
早口言葉を入れたい。言葉の楽しさを教えたかったのに、現場から反対。
Model readingができないという理由で。
同様に宮沢賢治の童話も、教師が方言が話せないという理由で却下。


教師が生徒の上に立とうとし過ぎる。微に入り細に入り説明し過ぎる。
わからないことはわからないままでは駄目なのか?
揺るがないと思っていることは嫌だ。
人文系のもの、国語や社会は答えは一つではない。
わかることしか教えないまま放っておくと、自分の守備範囲しか教えない。


Q「先生は、よくいろんなことを知っているね」
A「教師は、知っていることしか話さないからね」
教師はしばしば傲慢になりやすい。
答えられるものしか教えない怖さ。
子供(生徒)が世界(物事)に対してタカをくくるようになる。


わからないことを提供しなくていいのか?
わからないことを本当は一緒に考えていくことが大事では?
社会に出ればわからなくて立往生することがたくさんある。
世界は広い。わからないことに満ちている。
大人(教師)が子供にそのことを語らなくてはならない。
不思議をどれだけ垣間見せることができるか、覗かせることができるか。


「自分たちを超えた、はるかなる物に向けるまなざし」を
大人が持たなければ、子供も持てない。子供はどんどん傲慢になる。
憤り、憧れ、気高さという言葉が死語になった現在
本音が大事だといって開き直って、建前を持たない現在の日本。
たらいの水と一緒に赤ん坊まで一緒に流してしまったのではないか。


英国には建前が沢山残っていて、その分、偽善も沢山ある。
でも、建前があるというのはいいこと。
「建前なんて糞食らえ」という日本は、恐ろしい。
英国では子供たちに気高さを伝えたいと「伝記」が復活してきた。
人間には色んな面(個性)があるということばかり強調して、
建前を伝えない日本では、伝記が読まれなくなってしまった。


最近の学生は、恐ろしく自我が膨れ上がっている。
それに拍車を掛けているのは携帯電話、インターネット。
少しでも批判をすると「許せない」という言葉で
周囲を切って捨てようとする。
でも、学生の中に「何故学ぶのか」と問いかけると、
「人と繋がるため」と答えた者がいた。


勉強はできた方がいい。本は読める方がいい。
「本は読まなければいけないか? 読めなければいけないか?」
読まなければいけないとは思わない。でも、
読めなければいけない。リテラシーの問題。
読めれば世界への扉が開かれる。
「勉強なんかできなくてもいい、何か一つでも得意なものがあれば」
そんないい加減な大人の言葉に乗ってはいけない。


最近救われたことの一つ。サラ・ロイの文章。
彼女の母親は、アウシュビッツを生き延びた二人姉妹の姉。
妹は、安心できる所へ行きたいとイスラエルへ。
母である姉は、「寛容と共感と信頼が実現できる所」が
同質の者の間でしか存在できないのではいけないと、アメリカへ。
サラの両親は、サラを育てる時(父親もユダヤ人)
「知らないことや理解できないことに直面するように」仕向けてくれた。


「怒り続ける」ということがどんなに大切か。
「憤りを持つ、持ち続ける」ことがどんなに大切か。
何故憤らないのか? 想像力が枯渇しているのでは?
「どうせ」と言った瞬間、絶望した瞬間から、
今現在戦っている人たちを、裏切ることになる。
その人たちとの関係を、切ることになる。


希望の側に立つということは、戦いを続けること。
「どうせ」という言葉を言わない。
「憤り」を持ち続ける。


−−以上が講演メモを大急ぎで縮めたものです。
  質疑応答分は含まれていません。
  聞き間違い、書き間違いは平にご容赦のほどを−−