Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

見慣れた景色に

そう、それは宝物だから、気が付いていないかもしれないけれど。
あなたがどんなふうに朝を過ごしているか、
どんなふうに昼を過ごしているか、
どんな夜を過ごしているか。
そう、余りに日常なので、気が付いていないかもしれないけれど。
その見慣れた景色を、昨日のままにしておいて明日になることに
気が付いていないのかもしれないけれど。


どんな夢を見たか、覚えてはいない。
せっかく見た夢も、覚えてはいない。
そんな風に朝を迎えて、一日が時間に追われて始まる。
タイムカードを気にしながら出勤し、道路の真ん中で立ち往生している
バックし損ねたトラックに道を塞がれ、30秒の差で遅刻して、
1時間の有給休暇を取る羽目になる。


もうそれだけで、今日の仕事にやる気をなくし、投げやりになる。
仕事として決められたことは、頭からきれいさっぱり抜け落ち、
食べ損ねた朝食、睡眠不足で朦朧とした意識、整理しきれていない頭、
それで、何ができるというのか、だから、まだ。
アイディアを出して、今日を乗り切る元気を。
何とか乗り切れるように、やる気を出して。
ヤルキヲダシテ、ヤル キ ヲ ダシ テ・・・

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
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プロに徹さければと思う。心の中ではいつも思っているのだが、
毎日の繰り返しの中で、惰性で動く部分が増えてくる。
新しいことにチャレンジするよりも、取り繕うように繰り返される、
その面白みの無い、お気楽な流れにいつの間にか身を任せている。
面と向かって要求されていないのに、自分から次々と新しいことは出来ない。
そんなしんどいことをしなくても、毎日は過ぎていくから。


プロなのだからと心の中で思う。わかってはいるのだが、それが辛い。
プロは必要なことをする。アマチュアはしたいことをする。
しかし、必要なことをするよりも、やらなければならないからするのであって、
それがとてつもなく変化の無い、面白味に欠ける、同じことの繰り返しで、
いわゆる「シジフォス(シーシュポス)の神話」にも似ていたら・・・?
飽きることは許してもらえるのだろうか。


どんな物事にも慣れはある。しかし、取り扱っているものが、
人生でたった1回きりの、仕事でたった1回きりのもので、
2度と同じものを取り扱う事が無いというのに、
ある意味「一期一会」と言ってもいいのに、
自分の思っているような手ごたえが感じられない状況に、
自分がかつて知っていた反応が返ってこない現状に、
自分が望んでいるやり取りが成立しない相手に、
諦めとやりきれなさと、そして憤りを通り越した徒労感が
頭の中に微かに残っていたプロ意識をほんの一息で吹き消してしまう。
それほどまでに、モチベーション、やる気の聖火は風前の灯だ。


・・・でなければ、であり続けなければ、あるべきであり、当然・・・のはず、
・・・さえできていれば、すべきであったのに、にしか過ぎずに終わり、
架空の脚本に縛られて、過去の脚本に縛られて、未来へのシナリオは見出せず
古い台詞、使い回しのきくありきたりの言い回し、無難な繰り返し、
検討の余地を残さない安易な方法、つまらない落ち、責任の無い投げやりさ、
積み重ねていくだけで、顧みられることの無い書類の山、
こなすだけで精一杯になっていく、毎日。
省みることを忘れた自分。麻痺していく自分。時間の切り売りに隠れる自分。
断片化する意識、砕ける心。機能不全を起こす体。


やらなければならないことに、明らかに手抜きを感じるようになり
やりたいことにばかり目が行って、時間配分が出来ず、段取りが見えず、
逃げに入りたくなる自分はもはやプロではなくて、アマチュアだ。
趣味で生きていることになる。趣味は面白い。趣味は奥深い。
趣味に飽きは来にくい。趣味に責任は無い。趣味はいつでも辞められる。
でも、プロは何もかもすぐに放り出してやらないで済む等という事は
許されるはずもなく、まずあってはならないことで。


しかし、客商売。相手あっての商売は、相手がひどいとわかっていても
自分が妥協せざるを得ない部分が多々ある。自分は一人、相手は多数。
多勢に無勢で対峙する、かつて感じられた緊張感の心地よさは今は無く、
「過去と他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」という法則にのっとり、
徒労から逃げるために、報われない日常に愛想を付かした形で
自分自身を「この場」から遠のかせる。これが自分の変化なのだと。
相手に要求せずに、自分さえ折れれば諦めれば、受け入れれば、流されれば
それで済むならよろしいでしょうと慇懃無礼に開き直る。


そんな詭弁の中に自分を見出して、どうにかなるものでは無かろうに。
そして、しなければならないこともできなくなってしまった自分、
イカレテシマッタ自分、ぽんこつになっってしまった自分を
誰に引き取らせるつもりだ? 修理工場も手前持ちだということを
忘れてはいやしないか? ワスレテハイヤシナイカ
忘れては、イヤシナイカ? 癒し無いか? イヤシナイカ
癒しは、無いのか?
癒しは、無いのか?


言い訳の中のカタツムリ、世間の荒波の塩分に弱くてすぐ溶ける。
暗闇の中の炬燵猫、自分の布団に辿り着けずに夢の中でも起きている。
体重よりも重い自尊心は、吹けば飛ぶよな将棋の独楽。
プロだからどうした、どうせ「歩」だ。どうせ「負」だ。
仕事だからどうした、自尊心じゃなくて、「自損疹」に覆われた自分。
そんな自分でどうするよ? 
捨て身で乗り切るのではなく、自分を捨ててどうするよ?
プロの自分をどうするのよ?

「続ける」技術

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