Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

「幸せのちから」

ここに描かれているような貧困はどこの世界にもあるのだろう。
貧困というものを描き出したら底が無いと言うのが、実際の所だ。
しかし、ここでテーマになっているのは「貧困」ではない。
やはりというか、どうしてもここから離れられないのだなというか、
一般受けするためにはこのテーマなのだろうという感じの
アメリカンドリーム(の追求)」プラスα「親子の情愛」


うーん、何だか昨日自分か書いた内容と重なるようで嫌だな。
寒さが厳しいほど、ほんの少しの温かさで心を暖めることができる。
「マッチ売りの少女」ではないけれど、爪に火をともすような生活から
夢を捨てずに這い上がって行く、それはストーリーとしては組み立て易く、
人の感情をエンロールする公式としては、基本だ。


おまけに親子で競演、いや共演と来ている。
「アリ」では傲慢な撮影態度で顰蹙を買った彼だが、
今回は撮影現場で「親らしい態度」ではなく、
「親」であり続けなければならなかったはず。
演技ではなく地で行かなければならなかった分、
社会人としての抑制をきかせることは、たやすかっただろうか?
そんなことを考えてしまう。

幸せのちから

幸せのちから

The Pursuit of Happyness

The Pursuit of Happyness



人の目があるから親らしくする訳ではないけれど、
親が親らしくあるためには、親としてのペルソナを被らなければならない。
そのペルソナを自分自身が被せるか、(自分から被るか)
人が被せるかの違いなのだが。
家の中でも外でも、同じ「父親」の顔を見せたのか、
仕事人、俳優としての「父」の顔を見せたのか、興味ある所だ。
少なくとも、今までとは異なる心境でウイル・スミスは仕事をしただろう。


それはともかく、「泣く子と地頭には勝てぬ」映画製作は、
ある程度まで期待通りの興行成績を収めてくれるはずだ。
親子共演という話題性ばかりではなく、
不況・不遇からから這い上がるための凄まじくも涙ぐましい努力、
離婚にもめげず、自分のポリシーを持って子育てする父性。
それらは今の日本には余り見ることができない。
クローズアップされることは少ないものだから、受けるだろう。


心に残った台詞。
大の大人である父親が、自分の子供に向かっていう言葉なのかどうか
それともこういう言葉、言い回しを英米語では普通に使うのかどうか、
私は余り知らないのだけれど、“trust me”がよく使われていたこと。
まあ、直訳して「信頼しろ」ではないのかも知れないけれど、
自分の娘に向かってこういう言葉を投げかけたことが無いので、新鮮。



「多分、できれば、きっと、おそらく」言葉の使い分けを教える場面、
教育上好ましくないテレビを見せる(無認可)保育園に抗議する場面、
行く所がなくなって地下鉄のトイレに、「洞窟で寝る」と称して隠れる場面、
最も印象に残った「僕のせいでママが出て行ったの?」と息子に尋ねられる場面。
「ママが出て行ったのはママの都合だ」と短く答えて、
息子にとっての母親を、決して貶(おとし)めようとしなかった場面。


親子でやり取りしている場面と、
一人で苦悩している場面との対比が鮮やかだった。
そう、離婚家庭や虐待家庭では、置き去りにされた子供が
「自分のせいだと責める場合が多い」と、心理学の教科書では習う。
相手をなじる前に自分を傷つけ、喪失の悲しみは倍増される。
好きな相手を責めることができない分、自分を責める。


実際の所、相手を責めたりなじったりせずに子供に説明するというのは
とても難しいことだろう。人間は無意識のうちに自分の立場を有利に
持っていってしまうものだから。それが普通だから。
だから、こんなふうに話せたらいいのに、こうあれば良かったのにという、
理想の会話、理想の姿を託して作られているのがよくわかる。
皮肉なことに。現実は、映画の世界とはまた異なる形で悲惨で
無理解無理難題、齟齬行き違い、憎しみ罵りあいが溢れている場所だから。


何れにせよ、子役の出てくる映画はハッピーエンドで終わる。
たとえ仕事で役者・俳優でも、子供心が傷つくことの無いように。
後味の悪い仕事をしたという形で影響を残すことが無いように。
幼少時の経験は刷り込みの要素が強いから、
大人のように割り切って受け止めることは難しい。


幸せのちから」という邦題にはちょっと疑問だ。
最も原作を読んだわけではないけれど、ちょっと違うなあ。
だって、The Pursuit of Happynessだもんね。(happinessではない)
Pursuit っていう言葉が今の日本の中でしっくり来るかどうか。
だから、「ちから」にしちゃうというのは、何だかなあ。
でも、ま、これが今年初めて観た映画になった。