Festina Lente2

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在り方は?

側にいるという覚悟を決める時、責任を持つ時
人はどれだけの意気込みを持つ事ができるのか?
いや、そういうものではなくて義務感なのか、
やりがいなのか、はたまた無意識になんとなく
「寄り添うこと」「共にあること」ができるものなのか。


いや、それはありえない。
家族であり続けることでさえ、お互いの誠意、
真心、信念、意思によって支えられている。
ただ何となく寄り添う事ができるほど、
私達を取り巻く世界は都合よくはできていない。


「寄り添う」「共にある」ことの言葉の美しさに
とらわれごまかされてはならない、それは幻想。
ある一定の状態にとどまる、関係を続けることは
上から下へ流れていくようなものではない。
かといって無理矢理遡るものではないかもしれないが。


共依存に陥らないように、過剰反応しないように、
不必要な陽性転移や陰性転移をしなくてもいいように、
自分の状態をモニタリングしながら、
相手を見極めることは難しい。
自分も相手も見つめ続けることは難しい。

心理学化する社会―なぜ、トラウマと癒しが求められるのか

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自己コントロールの檻 (講談社選書メチエ)

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だから、ありのままを受け入れる事が必要なのだけれど、
人は期待するものだ、無意識のうちに。
頼り、甘え、試し、泣き、拗ねて、反応を見る。
お互いにそういうゲームに陥らないように、
どちらか一方はしっかり踏みとどまらなければならない。


完璧でなくても構わない。
しかし、完璧を求めたくなる。
どこまでも要求してくるような相手であるのか、
そういうふうに駆り立ててしまうのか、
自分次第。


自分に何ができるか、ではなくて、
そんな貴方の側に一緒に居る事ができて、良かった
光栄です、と思えるようになれればいいのだと
それは全くの他人だからできることかも、ね。
近しい間柄であれば難しいだろうから。


沢山色々重なって、気が重くても、
大丈夫、まだまだやれると思える自分が居るかな?
そのとき私は何者か? 
母か、妻か、娘か、それとも・・・。
どんな自分として関わろうとしているのか?


どんな自分でありたいのか、
あらねばならないと縛りをかけるのではなく、
自然にそうありたい、そうなりたいと思いつつ、
お互いにとって大切な時間が過ぎていく。
昨日、今日、そしてこれからも続いて欲しい明日。

感情と看護―人とのかかわりを職業とすることの意味 (シリーズ ケアをひらく)

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