Festina Lente2

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胡蝶の夢、蟷螂の夢


「ええー!? どうしてお母さん、お布団に居るの?」
娘の叫び声で目が醒める。先ほどまで映画を見ていたはずなのに?
映画? 朝っぱらから映画? それは夢の中の話だ・・・。朝?
あさー? え、学校、学校、出勤。
娘が慌てるのも無理はない。7時26分。もう出かける時間だ。
どうして、こんなことになったのか? 映画、いや、それは夢。


6時51分、娘を起こした筈だった。それから先の記憶が・・・。
どうやら娘を起こしておいて、自分は2度寝してしまったらしい。
何ということだろう。我ながら、信じられない。
「お母さん早く、髪の毛結んでよー」はい、はい、はい。
夢の中で何の映画を見ていたのだか、子供がたくさん居るなあ、
子ども会主催の映画会だったかしらなんて、考えていた。


そう言えば、昨夜家人と電話で、
「ロッキー・ザ・ファイナル」を観ようという話をしたっけ。
家人がロッキーを見たことがないというので、世代の差を感じた。
それが頭の中に残っていたのか、ざわざわした雰囲気の映画だったような。
いや、そんなことを考えている場合じゃない、仕事仕事。
・・・ああ、今日も軽やかに飛び損ねた私の朝。

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職場はなぜ壊れるのか―産業医が見た人間関係の病理 (ちくま新書)

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・・・この3日間、娘と一緒に寝床に入るように努力しているお陰で、
睡眠時間は足り過ぎるくらい足りている。贅沢なくらいだ。
その代わり、慢性的な頭痛と立ちくらみは確かに減った。
山積みになっていく、読まねばならない本と引き換えに。
職場での仕事はできている。それ以外の、
趣味の範疇を超えた分野での読書ができない。
これは痛い。私にとっては、とても辛い。


・・・家族で暮らす、それはとても大事なこと。
子供の旬は短い。しかし、だからこそどうしたいか、
明確な意見やプランがなければ、何もできない。
どう過ごしたいか、ある程度までの目的に沿ったビジョンが欲しい。
ただ「のんびりする」だけでは、言葉はきれいだが
無為に時間は過ぎていく。のんびりする時間。
ただ、単に眠っているに等しい時間ならば、要らないのだ。


専門書を読む、考えをまとめる、ノートを作る、書き溜める、まとめ直す、
学者でもないのに、どうしてそんなことがしたいのだと問う。不毛だ。
自分の心を満たすために、読み、考え、学び、教える時間、
共有する知識、体験、広がり、仲間、そこへ至るまでの、学びのための学び。
何の為に家族の時間を削るのだという。何の為に睡眠時間を削るのだという。
不毛だ。一緒にいるのは時間の長さではなくて、質なのに。


折り合わない考え方を、自分の時間を犠牲にする苛立たしさを、
睡眠時間に埋没させて、春眠暁を覚えず、2度寝の春。
健康と引き換えに、何を贅沢なことを、と言うのだろう。
求める尺度が違うのだ、こればかりは。
求める基準が違うのだ、生きがいや、やりがいの内容の。


家庭内のメンテナンス、掃除選択、どうして物が捨てられない?
思い切りの悪い私のガラクタ達は、かさ高い。
心の中に溜まっている澱の如く捨てられない。
重ねたくない年のように、否が応でも重なっていく。
今日で今の年齢は最後。明日は年女の誕生日。


繰り返される、日々の営み、安らぎにも似た家庭内での擬態。
蟷螂の鎌を心の中で研ぐ日々。私は蝶にはなれない。
若葉の陰で、湿った土の上で、獲物を求めて彷徨うだろう。
蝶になれないから蝶を狩るのではなく、
狩をする為の楽しさのために、狩りをする生き方を選ぶだろう。
アンドロイドは、ミスティブルーの夢は見ない。
蟷螂は、胡蝶になって大空を飛ぶ夢は見ない。


若くて健康で、たくさんの子供に恵まれ、
騒がしくも賑やかな楽しい日々を、肝っ玉母さんで過ごす。
明るい日差し、笑い声、日向の匂いのする布団、湯気の立つ食卓。
そんな夢を見ることもなく、蟷螂の苛立ちと寂しさを
狩るための狩を始める季節。


一つ年をとる。
喜びを狩るか、哀しみを狩るか。
春は名のみの、今朝の夢よ。

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