Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

弱くて強い?

本日はまじめ半分おふざけ半分の分裂症です。
読まれる方、ご容赦ください。


自分に甘い人間である。どのくらい甘いかというと、
「歯茎が痙攣するくらいの羊羹の甘さ」ではないかと思う。
打たれ弱い人間である。すぐに凹む。落ち込む。嘆く。愚痴る。
若い時は自分の事だけでどよーんとなったのだが、
最近は、自分も含めて家族、仕事と当たり前の如く
有形無形財産の管理不行き届きといった感じで、
じわじわと侵食されていく凹み範囲が、広がってきた感がある。


いやあ、何も知らない若いままでいたかったが、
そうは問屋が卸さないといったところか。
年老いて「見える範囲」が広がるのは一長一短である。
取り越し苦労だけではなく、気に病む元が増殖ワラジムシ。
うようよ、ニョキニョキ、雨後のタケノコ状態。


先日研修で、「メンタル・トレーニング」とは? の構成を聞きながら、
自分が最も苦手とするものに、自分が関わっているこの逆転現象を
如何せんと思っていた。地球の裏側まで突き抜けるほどの矛盾、
乖離を抱えて、メンタルなタフに程遠い自分を哀れんだ。
そう、「哀れむだけ余裕があるではないか、暇人!」という、
パンチ・横槍・突っ込み、罵詈雑言が飛んでくる状態。


メンタルが強いという言葉から、何を連想するか?
だからー、ギャラリーに振って来るなよー。
精神力・根性・打たれ強い・落ち込みにくい・
回復力がある・自分を卑下しない・比較して落ち込まない・
自制心が強い・向上心がある・前向き・決断力がある、
えーと、あと、どんな言葉が出ていたっけ?
どの言葉も縁遠い、座右の銘にもなりゃしない、ああ、
どうしてどうして、こんなに自分の世界から遠い所に
行こうとしているのだろう、来てしまっているのだろう、
場違いじゃないか、間違いじゃないか、消えてしまいたいよ。


なのに、「決して弱くはない」と、人に言われたりすると、
この歳にもなって、「またかよ」とうんざりし、混乱する。
「強いですね」は、褒め言葉にもなるけれど、
ある意味、「けなし言葉」にもなるから、
「弱い」も「強い」もあったものではないのだが。


長きを共にしてきた友人曰く、「よくまあ、これだけというほど、
色んなことに出逢って、はたから見ていてびっくりするのに、
めげて落ち込んでこけて倒れても、ただでは起きない奴」
なんだそうだ。私はMの強い「起き上がりこぼし」かよ。
という、そんなことを悩める青少年のようにウダウダと考えながら
貴重な時間が過ぎてゆく。だもんで、本が読めない。



先日の研修、そう言えば、まだあった。
そんな精神状態の中で、次は「アニマル・セラピーについて」を聞く。
人間にとって安全な動物とは何か? 何をもって安全とするのかな? 
ギャラリーだから、まあぼーっと答えてみた。
娘がウサギ年なので、理由もなく「うさぎ」
猫は引っかくし、犬は噛み付くから・・・と言ってみたのだが。
ま、結論からすると、安全なのは訓練が出来る動物。
単なる餌付けではなくて、「待て」の訓練(コミュニケーション)ができて、
感情表現のわかりやすい動物、社会生活(群れ)ができる動物、
だそうだ、なるほどねー。


群れたいと思い、独りになりたいと思い、そのバランスが難しい。
もともと寂しがりやの癖に、人といることの煩雑さが堪える。
この中年思春期の「飲み屋でクダを巻くような妄想まがいの思考」が、
暴走し始めると、どうにも止まらない山本リンダ状態。
更年期欝、いや、単なる我侭、それとも?
穏やかに流れている仕事と、穏やかに流れない自分の時間。
この内部の時間。自分の中の「巡り合う時間たち」は、
なかなか制御が難しい。


私A 仕事は順調にこなしている。(ソトヅラ)
私B 年の功で、何とかごまかしながら仕事をしている(そとづら)
私C 仕事上、表の顔と裏の顔を使い分けている(ナニヅラ?)
私D 仕事に逃げる気持ちと家庭人であることの気鬱に悩んでいる。(どのつら?)
私E 限りなく優しく甘くだらしない未熟な母親(ママハハ)
私F 旧態然とした道徳観念で教育ママ足らんとして挫折ている(まあまあ母?)
私G えーとえーと、妻だったかもしれません。(つまようじ)
私H えーとえーと、娘だったかもしれません。(ハンドメイドオールドメイド)
私I 我思う故に我あり、です。好きにして。


とにかく、年女になってみて、今の歳の半分だった時と、
あんまり変わっていない、
精神状態のたまねぎの剥き方しかできていない。
剥けば涙が出る、切れば涙が出る。
料理法が未熟なのだ。いため方が足りないのだ。
切り方がまずいのだ。包丁の問題か? たまねぎの問題か?
ああ。
ああ。
4月も終わろうとしている、休日出勤の前日。