Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

私は木、私は風

私の苦手とする携帯電話の着メロ。
機種によって再生能力にかなりの差。
ということで音楽配信産業側としては、
機種に合わせて送る音楽(音源)を、編集し直してているとのこと。
いちいち手作業で、調整、再生、耳で確認。
これを1曲に付き機種ごとしているのだとしたら、すごい。
ハイテクの陰のローテク、アナログ、言い換えればニーズに合わせた、
血の通った、行き届いたサービスを心がけている技術。


そんなニュースを耳にすると、技術の世界がわからない私は
見知らぬ世界の思いがけない側面に、心打たれる。
その余韻は、心の奥底から別の記憶を呼び覚ます。
義務や機械的な言葉掛けではなくて、
その関係から紡がれ、幾度となく反芻された、
心に刻まれた、言葉や眼差し。


誰もがそうではないだろう。
かつての主治医の言動を、もし、今なら
彼はどう言うだろうか? と想像してみる事がよくある。
(もし、今なら、彼の言葉をどう受け止められるだろうか)
同様に、かつての同僚が、両親が、友人が側に居れば・・・、
どんなふうに言ってくれるかな、反応するかなと、
突然、脳裏にちらりと浮かぶ。


・・・経験は別の人格を隠し持っていて、メッセージやイメージを
ウィンクのように送ってくる、ほんの一瞬。
今日のように風の爽やかな日、それが良く聞こえる、見える気がする。
超自我だろうが、老賢人だろうが、永遠の子供だろうが、何だろうが、
自分の心の中にある何かが、ほんの一瞬煌めくように感じる。


今日のように風の爽やかな日、深く深呼吸できる日、
血管の隅々まで新鮮な空気が行き届いて、目の前が開けた気になる。
よく耳が聞こえるような気がする。
背中が真っ直ぐ伸びるような気がする。
体調がいい、というのではなくて、別の意味で何かがやってくる、
何かが自分を取り巻いているような、そんな気になる一瞬。

千の風になって ちひろの空

千の風になって ちひろの空

ゲド戦記 5 アースシーの風

ゲド戦記 5 アースシーの風


自分の専門から遠く隔たり、
また、隔たらなくてはいけない様な状況の中で、
何でも屋と称されながら、同じような隙間仕事を、
かつては誰かが引き受けていただろうと思う時、
心穏やかで余裕のある時は、何とか全体が見回せるものの、
きつくなってくると、自分だけが空回りしているのではないか、
自分にだけにしわ寄せが来ているのではないか、
誰かの足を引っ張っているのではないか、
そんな不安と苛立ちに苛まれる。


しかし、どうにかこうにか会議を開き、割り当てを決め、
予算を申請し、計画を立て、砂時計が落ちる煩わしさに、
必要以上に追い立てられて、
涙もろくなってしまう自分を、どうにか奮い立たせながら、
ここで愚痴り、こぼし、落ち込み、書き連ね、・・・、
そして今日、窓から入ってくる風は爽やかで心地良い。


風の感触、心地良さを感じてほっとする。
肺の奥に入ってくる、空気の冷たさがすがすがしさに
生暖かさが穏やかさに感じられる時、
目も耳も、アンテナからバリアとなって雑念を遮断する。
周囲の雑踏を、一瞬で消し去る。


ああ、今日のような日は手を伸ばせば、あの梢に手が届きそうだ。
緑滴る一隅から、雲の切れ目の高みから、
何かがやって来そうな、そんな気がする、今。
私は風に揺れる木になって、外に立ち尽くしている。
心は風と共に、どこまでも飛んでいく。


私は木、私は風。

樹皮ハンドブック

樹皮ハンドブック

木をかこう (至光社国際版絵本)

木をかこう (至光社国際版絵本)