Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

あと1週間

あと1週間で1年。よく書いてきたなあ、毎日。
演歌では無いけれど、あなた、かわりはないですか。
かわりはありませんでしたか。いや、色々あったと思う。
自問自答の日々。日々の呟きを書いて書きためて、
つらつら振り返ってみると。


プライベートは小康状態なれど、仕事はハードだ。
しかし、超ハードというわけではない。
お陰様でというべきか、たまたま今が
仕事と自分の距離の取れる時期に過ぎないと言うべきか。


1年近く書いてくると、プライベートブログというのは、
何かテーマを設定しない限り、単なる意識の流れ
日々の出来事に触発される雑感と、幾ばくかの日常記録


よく、この世迷言で書き続けてきたなと思うけれど、
これもあと1週間。このまま書いてみるのか、
趣向を凝らしてみるのか。趣向?
何も意図する所もなく、趣向と言うのもおこがましいな。
如何に自分の視野が狭くて、広い世界の出来事よりも、
私小説的な身の回りのことにしか関心が行かないことに、
よくよく気付かされる。
いやはや全くもうの、世界。

風の消息、それぞれの

風の消息、それぞれの


この世界では何年選手もお見かけするけれど、
元々日記を描く習慣のある方なのかしら?
記述魔? メモ魔? 長く描くからには必然があるはずで。
もっとも長く書いている方が、毎日書いているとは限らないし、
全て自分の言葉で書き綴っているわけでもない。


どこかで、長く続けていると書く記事が無くなって、
評論めいた物が多くなってしまう、例えば書評等と。
それはそれで、いいと思うけれど世の中には、
書評は書評で、読書日記だけにまとめて欲しいと思っている人が
多いのかしら? 元々自分のために付けるのではなくて、
人様に読んでもらうことだけが目的ならば、そうなのかな。
シェアが目的ならば? シェアと言うのとは、違うよね。

ありがとうのてがみ

ありがとうのてがみ


それはそれ、この「日々の思い」を吐き出したいがために
これはこれ、何がしかの思いを認めてもらいたいがために。
無言の隠し文字。あなた かわりはないですか。
届けたい思い。あなた かわりはないですか。
直接言葉を掛ける事はできないけれど、
あなた かわりはないですか。
自分に問い続けた言葉。


どこか遠くで繋がっている、人の言葉に辿り付くと、
慰めや癒しの言葉、励ましであったり、
未知の世界への扉、師が弟子に与える薫陶であったりする。
初めて見る風物、心に沁みる懐かしい景色、
微笑ましい映像、幾多の色彩の彼方に書き手と自分を見出す。


言葉にも色彩にも絵にも景色にも写真にも、紹介される本にさえ
書き手と自分を見出す。繋がりを見出す。
それは、私自身の投影にしか過ぎないのかもしれないけれど。
その身勝手な思い入れは、書き手に失礼なのかもしれないけれど、
心引かれ、読み続け、現在に至る。


私自身がそのような書き手であったかどうか、それは疑問。
蜘蛛の巣の向こうにいる、毎日の書き手の真心に
応えられる自分であったかどうか問いただすと、恥ずかしい。
ただ、ただ、自分に訊ねられると同じように、
問い続けてきたような気がする。


身近に仕事も読書も生活も語る相手が無い時に、
バーチャルだからと言っても、「ここ」が根城。
生身の人間が書くであろう言葉の向こうに、
日々、思いを寄せて、思いを馳せていることに、
不思議な気もし、苦笑しつつも、心温まることも多い、
「ここ」が、フィールド。

いつまで「ここ」に居られるかわからないから、
今日、言葉に出して言いたくなった時に、
書き込んでみる。
あなた かわりはないですか。

最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙 (講談社文庫)

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フラワーレメディーズ ウィズダム―花びらの癒しの手紙、心への返信

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