Festina Lente2

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真夏の通院日

母の通院に娘を連れて行くことにした。
病院に来るのは久しぶりだと喜んでいるところが、可笑しい。
父親も祖母も入院していた大学病院なのに、娘にとっては
学園祭(医学部祭)で過ごした、楽しい思い出の方が強いようだ。
病院にマイナスのイメージを持たないだけでも、いいとしよう。
病院へのトラウマは、医療に対する不信だけが原因ではない。
幸いそれは微々たるものだ。


信頼を築き上げるのに時間がかかり、失うのが一瞬であるように、
目立たない所でバランスを取り、日常生活を維持していると思っていたのに、
あっという間に反転して、それまでの非日常が日常になってしまう。
冷静に行動している自分と、そうでは無い自分の分裂した状態が
フィルムを通して物を見るような離人感を募らせる。
手応えや味、形、空間が心許ない。
人の言動が信じられない。
そういう追い詰められた記憶が、封印されていて、
心の中に深い陥穽をぱっくりと開けている。
そういうものを意識せざるを得ないので、辛い。


健やかな娘の心、それは自分で自分を追い詰めるような
マイナスの物事の受け止め方をしたり、
時間軸に未来を見失ったり、不信で怒り狂ったりすることの無い
眩しいばかりの素直さだ。
物事が良くなることが未来であり、成長である、
世間の嵐を回りの大人が木立になって防いでいる中で、
斜に構えたりせずに、日常を楽しむことができる。
病の祖母の言動が多少奇妙だろうと、
「病気」ってこんな風になるんだね、と私より穏やかに受けめている。

受診する通院する入院する!120の患者術―病院選びの鉄則、医者にかかる技術、病気と向き合う秘訣 (100人の体験の知恵シリーズ)

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認知症がはじまった?―アルツハイマー初期の人を支える

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家人の病以来、物事を悲観的に見つめるようになった私には、
娘の健全な物事の受け止め方が、羅針盤のようなものだ。
冷静にならざるを得ない仕事とは異なり、
私的な空間は一瞬にして沸騰したような感覚に襲われ
その落差が自分を苦しめる。
家族の病状が落ち着いていて、月に2度、大学病院を訪れる時、
それは、小さな巡礼のような感じ。
救いを求めて丘の上にそびえる建物に向かって、車を走らせる。


娘は待合室で本を読んでいる。母も・・・読んでいる。
病院の待合室で、予約時間はあって無きが如くに待ち続ける。
その混みようといったら、病院というよりも駅の構内のよう。
田舎にある大学病院。近所のクリニックでは診られない病気以外にも
紹介状無しでやって来る人も多い。
ここは、ショッピングセンターかと思うほどの昼下がり。


診察、主治医への相談、薬を追加するかどうか・・・。
カルテをめくり、(ここは電子カルテではない)慎重に対処する。
彼は一方的に〜しましょうという事は言わない。
選択肢と副作用と、わかりやすく説明してくれる。
少なくとも3分間診療ではないので、予約時間がずれ込むのは仕方が無い。


娘の読書は『夏の星座』、母は何故かハウツーものの文庫本を片手に。
私は『水の時計』電車に乗る出張があると、読書時間ができる。
この本はここで紹介されていたのだけれど、
もっと若い時に読めば、ウルウルしたかもしれない。
ドナーになれない人の代わりに、その人の分まで
ドナー登録している私にとっても、無関係では無いのだけれど、
心が乾いている分、距離を取って読んでしまう。
『幸福な王子』現代版とか、リメイクと言われている作品。
曖昧な落ちに、輪郭よりも色彩だけが目に飛び込むような感じの作品。


1ヶ月ほど前に読んだ『螺鈿迷宮』は逆に、色彩感があるようで、
華奢な輪郭が蜘蛛の糸のように張り巡らされている作品。
どちらも医療や病院を取り扱っているけれど、
『水の時計』は、医療が絡んだ問題を提起する形が強いものの、
繊細な、ファンタジックな側面が強い。
螺鈿迷宮』も医療問題が絡んではいても、劇画調の人物造型が
鼻に付き過ぎるくらいのくどさを伴っていて、骨太だ。


私は患者の家族、患者自身であるよりも家族であるところから
冷ややかに、あきらめと感謝の中を行ったり来たりしている。
蝉時雨を聴きながら、私の知っているセミ
後何年土の中に居てくれるだろうと思ったりしている。
地上に出てこなくてもいいのだ、なんて思ったりもする。
読書をする時も、注意深く自分から距離を取って心に蓋をしながら
読むようになっている、自分の臆病さにうんざりしながら、
何も考えずに本にのめりこめ無いのは、老眼のせいにしている。


母の診察を終えて、私は私のメンテナンスに向かう。
そして戻って夕食を作り、夜になる。取りとめもなく物思い。
頭の中はもやがかかって、生ぬるいサウナに疲れ果てた感じ。
そんな夏の一日、台風5号は九州を横切って行った。

水の時計 (角川文庫)

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螺鈿迷宮

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