Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

感傷の夜

さて、色んなブログでは美しい景色、とりわけ植物の接写が魅力的。
家人のデジカメをたまに触るぐらいの私は、
相変わらず機械音痴のまま生活しているのだが、
植物が茂る夏は、「私でも写真が・・・」などと欲を出したくなる。
植物を撮るのは平気。人物は苦手。
そう、私は旅行に行くと景色ばかりにカメラを向けて
殆ど人のいない、廃墟のような写真を撮る人間だった。
唯一撮る人物は、娘だけである。


それでも、娘を撮る枚数も減ってきた。
フィルムカメラを現像に出すのも面倒になってきた。
この所、思うようにアルバムの整理も出来ない。
そして、よくよく考えみると、
娘と家人を写した写真はあれど、
私自身が写っている写真は殆ど無い、という事に気が付いた。


娘は成長した暁に、友人の親よりもはるかに年老いた
(もしくはいない可能性の高い)親の顔を何から知るだろう?
兄弟姉妹も無い、親戚との行き来も殆どいない、
まして、親戚筋でも女の子はただ1人。
そんな環境の中で成長していった時、
身近にいたはずの人間の顔も体も写真も無い。
そんな事実を突きつけられて、どう思うだろう?


たまたまBSでやっていた『青幻記』を見ていて思った。

沖縄女性史 (平凡社ライブラリー)

沖縄女性史 (平凡社ライブラリー)

境界性の人類学―重層する沖永良部島民のアイデンティティ

境界性の人類学―重層する沖永良部島民のアイデンティティ


沖永良部島を舞台にした、(いわゆる本土の人間には沖縄が舞台)
若く不幸なまま亡くなった母の思い出を、回想する映画。
少年の胸に刻まれた、母の舞姿。珊瑚礁の海、青緑色の幻想。
郷愁、思い出、思慕、切なくたぎる情念。
かの地独特の墓地で、洗骨が施された頭蓋骨を見入る
成人した主人公。・・・疲れ果てて都会から帰ってきた元少年


少々脱線。映画の象徴する所からずれて考えてしまった。
至福に近い産前産後、育休の1年間を徳島は阿南で暮らした。
毎日海が見える海岸を、乳母車で散歩した。
育児支援の一環で、保育園に入所前の子供と親で
海水浴、浜遊び。そして、食べた西瓜。
少子化の影響で、翌年海辺の保育園は閉所された)
海は、母親となった私の「心のゆりかご」だった。


大阪の海には沢山の海水浴場があった、
埋め立て前の豊かな海の賑わいの記憶を、微かに持つ私。
「海恋し潮の遠鳴り数えては乙女となりし父母の家」(与謝野晶子
ではないが、海の色、海辺の景色、波の音、潮風の匂いは、
幼少期のおぼろな記憶の中に刻み込まれている。


しかし、海は埋め立てられ、社宅の砂地の庭は芋畑に。
食べられる植物が次々と植えられ、花壇はなくなった。
僅かに残っていた松林は伐採され、海岸線は無残に消された。
埋め立て工事に、浜辺の道という道を切断され
ぬかるみの中を足を泥だらけにして、小学校まで歩いて通った。


下水道用の巨大な土管の中に秘密基地を作った。
鉄のワイヤーが詰まれた倉庫か何かに、男の子たちが忍び込み、
近所の誰かが崩れた鉄材の下敷きになって死んだ。
現場に居合わせたという隣の家の男の子は、ご飯が食べられなくなり
熱を出して寝込んでしまった。「ショック」という言葉を覚えた。


そんな、半世紀程前の思い出ばかりが、押し寄せてくる。
昔のことだ。庭や海辺などの景色、若かった両親の写真など殆ど無い。
両親も働いていて忙しかったのか、ズボラだったのか、
写真の整理などしているところを見たことが無かった。
僅かに赤ん坊から小学校5・6年までの写真が1冊のアルバム。
今の時代に比べて、実に殆ど写真が無いと言ってもいい。
だから、若い頃の親の顔など思い浮かべる「よすが」が無い。


東北の田舎出身の両親、とりわけ母は、畑仕事に精を出した。
庭は小さなジャングル。子供の私にはそうだった。
浜木綿もカンナも薔薇も全て自分の背よりも高い。
トウモロコシに至っては、数列あれば隠れんぼができる。
田舎の祖母のトウモロコシ畑では、隠れるどころか
本当に迷子になってしまった。
蚕のための桑畑でも、迷子になってしまった。
田舎の平野は、延々と緑色の海だった。
田んぼも畑も風にうねる茎や枝葉を持つ、緑色の海だった。


埋め立てられた海の代わりに、小さな緑の庭が海だった。
草いきれと露の滴る、ささやかな緑の畑が海だった。
家計の足しに、そして新鮮で安全なものを食卓にという
母の心尽くしの膳は、緑の海で漁(すなど)られたも同然。
住んでいた土地の環境が大きく損なわれても、
田舎の暮らしを再現し、生活を守り続けた母の信念の元で
私は守り育てられたといっていい。

組曲「空と海」

組曲「空と海」

自分の感受性くらい

自分の感受性くらい

その母の写真が無い。茨木のり子の詩ではないが、
母にだって美しい時があり、熟れていく日々があり、
子育てにいそしんだ喜びがあり、思うに任せず、
穏やかならぬ荒んだ思いに打ちひしがれたこともあったはず。
その母の若かりし頃の写真が無い。
(むろん父の写真もないのだが・・・)


母の記録は私の記憶の中にしか残っていない。
最終的な介護とまでは行かないというのに、
母の口から語られる思い出も、写真も残らないままに、
自分自身の中に蓄えられているものしかない。
ただ、私には共に畑仕事をした、共に収穫した思い出がある。

歳月

歳月

なのに、私の娘は緑の庭に見向きもしない。
畑には摘める花が無い、虫は怖い、土は手が汚れる。
小学校に入ってから、激変?してしまった。
保育園で泥団子を作っていた、おままごとをしていた
祖母の丹精した緑の庭で遊んでいた、娘はどこにもいない。
生活科(理科)の観察日記さえ、描くのを面倒臭がる。
なのに、デジカメ写真だけは撮りたがる。花や虫を。
そういうと仕事になってしまったのだと言われると、
何だかがっかりしてしまう。


海の中に母がある。母の中に海がある。
波のたゆたいも、緑陰の湿り気も、土のぬくもりも
どれだけ伝わっているのかわからない。
人という被写体が撮れない私、
人に関わる仕事だというのに、、家族と過ごす時間が少ない私、
娘に母の想い出は、何で伝わっているのか。
『青幻記』の主人公のように、母を慕い故郷を思い、
人生を振り返る日など来るのだろうか。

倚りかからず (ちくま文庫)

倚りかからず (ちくま文庫)

想い出は写真だけではない。記憶は写真ではない。
されど、母が私に残してくれた以上に、
私が残せるものは、果たしてあるのか。
かつての母ではない母に、哀しい思いを抱きつつ、
自分の未来を思い、たった一人残される娘を思う。
真夜中。私は1人、眠れない。


娘の心に広がる青い海はあるのか、思い出の庭はあるのか。
デジタルなあっさり消去OKの記憶ばかりが、
蓄積されているのではないだろうか。
私自身が、消されていくような不安と共に
私もまた自分の母を見る。母の中から消えていった、
沢山のものを痛ましく思いながら。
母への距離をひとしお感じながら、眠れない。


できるだけ、長生き。ルオー爺さんのように。
あぐりさんのように。きんさんぎんさんのように。
そんなこと、考えたことも無い。考えられない。
何も知らずにいた頃に戻りたい。
海辺で育った頃に、海辺で育てた頃に。
深夜、私の心は感傷の波で洗われ続ける。

ディープ・デッド・ブルー

ディープ・デッド・ブルー

風-Winds~ナウシカの思い出に捧げる

風-Winds~ナウシカの思い出に捧げる