Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

食べるのか食べられるのか

蟻をせっせと食べては太る蟻地獄。
毎日ご馳走を食べているわけでは無いけれど、カロリー過多。
更年期が拍車をかける脂肪肝、体調、精神状態。
自分が蟻なのか、蟻地獄なのかわからなくなる時がある。
どっちもどっちなのだけれど。


有性であれば早死にするオス、長生きするメス。ただし卵を産む装置。
真面目に働いて長生きするはずの中性。
蟻社会を擬人化して書いていた童話、「チョンドリーノ」
イカの種を鎧にして、戦争を企てる主人公。
怠け者の男の子が働き蟻に、算数嫌いの姉は尺取虫に。
カフカの「変身」よりも、穏やかな変身譚。


オスを食べるメス、餌に卵を産みつけるメス、
子どもに食べられる親。親の脛をかじる子ども、これは人間。
どうすることもできない、自分では。
それは、どうすることもできない。だから諦めも付く。
食事は、もっと改善の余地があるのだろうけれど、
なかなかカロリーを減らせない。
嫌な事があると、食べ物で発散してしまう。


仕事が忙しいと外食が増える。だから手作りで食事を作るのが楽しい。
楽しいから色々作る。色々食べる。その結果太る。何にもならない。
10年間で3キロ増えただけなのに、体脂肪率は目も当てられない。
体型は、重力に逆らえずもっと哀しい。
でも、どうすることもできないのよ。今の私には。
メタボ予備軍になるつもりは無いのにね。


昨日はミミガーを手に入れ、飲んでしまった。
今日は夕食を作りながら、笹かまぼこで飲んでしまった。
帰宅しててもこれなんだ。仕事量を削っているのに。
せっかく2キロ体重落として、これなんだ。
またすぐに戻ってしまう、このままじゃ。
でも、どうすることもできないのよ。

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

夢をかなえる人の手帳術

夢をかなえる人の手帳術


焼き茄子のマーボーあんかけ。(オクラ・えのき・麻婆豆腐の元)
カジキマグロの刺身。ゴーヤーチャンプルー。冷奴。
味噌汁。(薩摩芋・茄子・冥加・うすあげ)ご飯。麦茶。
これに笹かまぼこ2枚ととチューハイ1缶。無花果1個。
久しぶりに晩御飯を作る。手間要らず、簡単30分料理ばかり。


庭のオクラ・ゴーヤー・紫蘇、茗荷たち。ありがとさん。
味噌汁の具は、母のリクエストにこたえて。
沢山作るように見えても小皿に小分けすると、量は少ない。
それでも、運動量に比べればやっぱりカロリー過多。
仕事を減らした分、運動量も減っているはず。
でも、どうすることもできないことなのよ。


立場が変わって仕事がやりにくいような、やりやすいような。
思い切って人に振るか、徹底的に自分で被るか、切り捨てるか。
要領で乗り切れる部分は省エネで、抱え込まずに人任せ。
できるだけ1人の時間を持てるように。
色んなことに巻き込まれるのを避けるために。


帰宅すれば、2日続きで水筒を学校に忘れてきた娘、
ラジオとカメラの区別が付かない母、
運動会は保護者席なし、全員立ち見OK.
プレハブ校舎建て増しで、運動場が狭い。
昨年の今頃は入院中、今年から保護者席なし。
なんてこったい。でも、どうすることもでいない。


「ぐらぐらで抜けかけていた親知らず、
 給食と一緒に食べちゃった・・・。」
(いや、まだ親知らずは生えてないでしょう!?)
あーあ、抜けた歯は今まで全部しまってきたのに。
でも、それもどうしようもない。
どうすることもできないね、かーちゃんには。


日々の生活の中、笑えるものから笑えないものまで、
がっくり来るものから、腹の立つことまで、
何と色々、コマゴマ、あれこれ、些細な、
蟻にも等しい日常の一つ一つ、どれもこれもが。
なのに、どれ一つとして欠けると、パズルが完成しない。
蟻地獄に飲まれるように、全てが消えてしまう。


しかし、ふと我に返って思う。本当にそうなのか、
省略してしまっても構わないのではないか、
失くしてしまっても構わないのではないか、
あると思えば執着し、無いとなればで何とかなり、
必要不可欠と思いこんでいるだけで、惰性、打算、馴れ合い。
ならばいっそのこと、最初から無かったものに。


そう思う私は、うっかり足を滑らせて蟻地獄に落ちる蟻?
それとも、自ら自殺願望を抱くに至った働き蟻?
寿命の限られたオス? 卵を産む機械のメス?
貪欲な捕獲者であろうとしているのは、私自身?
それとも自分の尻尾を飲み込もうとしている蛇?


そして羽化したとしても、退化した口からは何も食べられない。
地に潜む生き方から一転、身軽に飛び回って交尾して終わり。
貪欲に生きてきて、無数の蟻を呑み込んで、
結局は・・・、何なのよ。でも、どうすることもできない。
眠りたいのに眠れない。

砂のように時間は過ぎて、毎日が終わり、そして始まり。