Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

敏感と過敏の間


さて、長月こと、9月も1週間が過ぎましたね。
皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか?
夏休み恋しさに、仕事に身が入らないなんてコトは?
私のようにパソコンが不調で、思案に暮れているなんてコトは?
(アドバイス下さった方、ありがとうございます)
食欲の秋どころか、残暑で痩せて嬉しいなんて人も?


9月は行事が多い。勉強会も新しいステージに移りつつある。
おべんと月、いや、イベント月、9月。
仕事でもプライベートでも。
嬉しいのは、娘の誕生日があること。27日、天秤座生まれ。
小学校の運動会、今年からプレハブ校舎増設中で保護者席は無し。
全員立ち見だそうで。せっかく初の小学校の運動会参観なのに。
おまけに、去年は憩室炎で入院して見られなかったから、
1年生の運動会、楽しみにしてたのに、出産以来の入院。
どうも、運動会とは相性が悪いのかも。


さて、勉強会(これはお産の関係ではありません)で
久しぶりに会った仲間が、こういうHPを立ち上げています。
安心してお産ができる奈良県にしたい http://www.eonet.ne.jp/~naraosan/
それに関連して、次のような催しがありますので、
興味のある方は、どうぞ参加お願いします。


タイトル“わたしたち、どこで産もうかな?”
(大切な出産。自分らしい「お産」をいっしょに考えませんか?)
場所・奈良県文化会館小ホール(近鉄奈良駅から歩いて5分)
※子供連れ席を設けます。  
時間・13:00開場/13:30開演〜16:30終演予定
参加費・一般、500円(家族含む) 医療関係者、1000円
申込先(eメール)naraansinosan@yahoo.co.jp (FAX)0742-44-1228
当日参加もOKですが、資料準備のため21日(金)までに
事前申込にご協力下さい。
参加者氏名 ご家族やお子様連れの場合その人数
(大人○名、子ども△名など)
講師・廣瀬健(ひろせけん)さん(長野県 上田市産院 副院長)
テーマ:身近なところで安心してお産ができるようにするには
主催・「安心してお産ができる奈良県にしたい」の会
(代表・内藤恵美子)


お産の歴史 ―縄文時代から現代まで (集英社新書)

お産の歴史 ―縄文時代から現代まで (集英社新書)

お産椅子への旅―ものと身体の歴史人類学

お産椅子への旅―ものと身体の歴史人類学



お産のことも含めて、娘の出産、誕生、子育てを振り返ると、
思い出一杯の9月は、ちょっと神経過敏にならざるを得ない月。
この間の駆け込み妊婦報道で怒りを覚えてしまったのも、
幸いなことに自然に妊娠、超高年齢出産で娘を授かったものの、
2人目不妊に悩み、天の計らいで結局一番幸いな道が開かれていたのだと
思えるようになるまでは長かったと思う。
娘も「妹が欲しい」と最近は言わなくなったものの、
小学校入学までせがまれて辛い思いをしたものだ。


9月は過敏にならざるを得ない月。ジンクスを作りたくない月だ。
2年前の9月。ストレスからか風邪をこじらせ、声が出なくなった。
前後して、家人が倒れた。娘の保育園最後の運動会の最中に。
それから半年、ちょいと地獄を垣間見た。家族の時間、
家族のカレンダー、私の人生観は大きく変わった。
今では地獄は釜に蓋をしたままで、ちょくちょく覗かなくてもいいが、
足裏に感じている熱さは変わらないといったところ。


で、去年自分が憩室炎でダウンした。これも幸いなことに
偶然かかった病院に、たまたま出向いていた夫の主治医に診て貰えた。
「足元をすくわれたなあ」「9月はお払いしてもらった方がいいなあ」と
冗談半分に言われて、本当にそうだと思ったくらい落ち込んだ。
9月は、2年続きで間が悪い。
今年こそ何も無く穏やかに娘の誕生日を迎えたい。
3年続きで病院で誕生会は、嫌だからなあ・・・。
だから、意識して去年より仕事を減らして過ごしている。


何事もありませんように。無事に過ぎますように。
無論、アクシデントは私を強くしたし、家族の在り方を変えたと思う。
未来は限りなく不安定・不透明になり
(もとより安定など何を根拠かわからないが)、
悲観の固まりになったとて、道は開かれないまま時間が過ぎるだけだ。
健康状態もさりながら、仕事の関係で夫婦ともプチ鬱。
天真爛漫な娘に救われているのは、親の方だと言わざるを得ない。


本業以外にかつて勉強したことを生かそうと、
色んな所に「出没」しているのも、それなりに突破口を見出したいから。
このままで終わったりはしない。
このままでは終われない。
何も残せず残さず終わったりはしないと、
転勤で、職場で、人間関係で、病気で、運命で駄目になったなんて、
そんなことを自分自身への言い訳になんかしない。


そういう思いを新たにする日々なのではあるが、やはり9月。
フラッシュバック。実りの秋は、千路に思い乱れる秋となる。
人が歩けば道になる。しかし、思い悩めばプチ鬱では済まない。
変に思いもよらない形で、道を踏み外してしまいそうになる。
こんなメビウスの輪は嫌だ。3度目の正直だ。3度目の秋。
変に力が入って、変に疲れてしまう。
だから、身代わりにノートPCは発熱・故障したのかもしれない。

ハチドリのひとしずく いま、私にできること

ハチドリのひとしずく いま、私にできること

7枚重ねの布団の下の、たった一粒の豆のせいで眠れない、
どこぞの童話のお姫様じゃあるまいし。
うじうじと悩んでいるよりも、できることをしなくては。
「ハチドリのひとしずく いま、私にできること」のハチドリのように。
山火事を消すために、小さなくちばしに水を運ぶハチドリ。
自分を取り巻く日常生活、普段は考えないようにしている辛いこと、
本当は口をぱっくり開けている地獄の釜、ハチドリの山火事。
でも、それをボーっと見ているだけなんて、できない。


そのためにも、敏感な自分であり続けたいけれど、
過敏にはなりたくない。
(とっくに色んなアレルギーに悩まされてはいるけれど)
年齢的に鈍感になって、開き直るだけではいけないから、
自分の感受性ぐらい自分で守っていかなくてはならないのだけれど、
前向きになれる敏感さではなくて、
過敏な部分に「漆負け」してしまうのは嫌。
敏感と過敏の間、ほどほどに、加減はいい加減になりたい。


冷静になるほど客観的に醒めてみることもできず、
情熱を持ち続けるほど、エネルギッシュに動くことはできなくとも、
敏感と過敏の間でウロウロしながらも、螺旋階段を上がり続けて、
外の景色を見ることができるように、外の空気が吸えるように、
自分を塔の中に閉じ込めたりしないように。


ジンクスに踊らされない。新しい何かを見るける。
そんな気持ちで、9月最初の1週間を見送る今日。