Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

「嘘つき」は何の始まり?

最近、仕事や研修会の話から逃げている訳ではないが、
細々とした雑事の鬱憤を晴らすように、夫婦喧嘩よりも犬が食わない
雑事を細々と書き連ねている。書きながら更に落ち込んだりしている。
ゆっくりいそげというより、ぬかるみ状態。
ぬかるみもまた必要なことではあると、経験が・・・
頭のどこやらで呟いているようなのだが、簡単には割り切れぬ。


きっかけは娘の小さな嘘。というか、ごまかし。忘れ物。
水筒、プリント、教科書、家に忘れているのではなくて、
学校から持って帰ってくるのを忘れる。連絡帳を忘れてきたりもする。
何のための連絡帳なのかわかったものではないのだが、
昨夜、見せなさいと言ったら(見たのサインもしないといけないしね)、
見せる直前に、一行消しゴムで消している。ん?ん?
挙動不審。


「あ、あのね、書いてある字が間違っていたから消したの」
何と姑息な証拠隠滅作業。コナンや金田一君に熱中する割に、
やることは小学校2年生だ。消した後には2Bの鉛筆跡がくっきり。
わ(忘れ物の意味)・・・生活の本  と書いてあった訳か・・・
要は、今日の忘れ物を知らせる内容なんだけれど、
見せたくなかった訳ね。時間割を合わせていなかったのがばれるから。

医者になろうとしている君たちへ―憧れの世界のウソとマコト

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お母さんの「発見」―モンテッソーリ教育で学ぶ子どもの見方・たすけ方

お母さんの「発見」―モンテッソーリ教育で学ぶ子どもの見方・たすけ方


子供が嘘をついたり隠し事をしたりすることが、
全面的に悪いなどとは思ってはいない。
むしろ年齢相応に上手に隠し事をしたり、秘密を持ったりする、できる、
そういうことが大切だということを、職業柄、嫌というほど知っている。


知恵を発達させる、知能の問題だけではない。
困ったときに上手に切り抜ける、状況を判断し危機を回避、
もしくは事を荒立てないためのクッション、ごまかしにも通じるが、
そういう頭の回転も必要で、その場限りの苦し紛れの嘘でも、
付ける能力と全く付けないのでは雲泥の差があることも知っている。


誰かと秘密を共有すること、内緒の約束をすること、
秘密を守ること、わからないように証拠隠滅すること、
自分を守るために、何かを守るために、
ばれないように、怒られないようにだけでなく、
将来色んな方面で為になる大事な嘘がつけるようになるためにも、
日常生活では色々経験しておかなければならないのは
重々わかっているのだけれど・・・。


わかっていても、理屈や理論ではわかっていても、
この数日間の積み上げがあるので、どうもこの頃、
娘としっくりいっていないという経過があるので、
感情的に沸点が低かった・・・。


何故、ちゃんと連絡帳を見せないのか。
見せて貰えない私が悪いのか、しつけが甘いのか、
夏休みぼけでだらだらしているのか、
こういう子に育ててしまったのか、
注意してもきちんと聞かないのは、自分が舐められているからか、
こういう反応が続いているような状態になったのは、
自分の持って行き方が悪かったからなのか、
きっとそうだ、私が手抜きで、いい加減なことをしてきたから、
親の目の前でこんな姑息な行動に出ているのだと、
限りなくマイナーな方向に頭が沸騰していく。
世間ではこれを、「切れる」という。


人から見たら「ぶち切れる」状態に近かったのではないか。
いかに自分が親業をこなし切れていないか、
心の容量が狭いか、要領が悪いか、親らしくないか、
子供と同じ土俵で相撲を取ってどうするんだか・・・。
理性ではわかっていても、どうしようもない所で自分を押さえ切れなくなる。

今日から怒らないママになれる本!

今日から怒らないママになれる本!

9月。私にとっては9月10月はこの2年間、
忌まわしい思い出に縛られている。
嘘や欺き、隠された真実にたいがい振り回されていて、
「いったい自分が何をしたというのか」という思いが、
さまよえるオランダ人」のように脳裏を徘徊しているわけだが、
過去の思い出の海を漂っているばかりではなく、陸地にあがろうと。
そんな気持ちにさせられてしまうのだ。


嘘や隠し事は沢山だと思う。それが、人を守るための白い嘘ではなくて、
思いも寄らぬ苦悩や絶望だけを現実として突きつけてくるものならば、
どうして許すことが易かろう。
私は「羮に懲りて膾を吹く」タイプの人間。
敏感ではなくて過敏に反応する人間。
意識の下に何かを静かに沈めるのに苦労するタイプの人間なのだ。


白い嘘にも黒い嘘にも付き合ってきた。
それほど大げさなものでなくても、人生には潤滑油にも似た、
優しやや思いやりにも似た小さな嘘が散りばめられていることを、
私だって知っている。十分に気が付いている。
どんな時にどんなことが必要か。何を守るために、必要か。


されど、今、目の前で娘がしたことの背景に、
叱られる以前に、一緒に捜し物をしてくれないであろう母、
自分でしなさいと叱られると私に怯えている娘の姿を読み取って、
更に逆上せざるを得ない自分がいる。
小さなごく小さな嘘の背景に、何倍のもの見なくてもいいものを読み取って
逆上する自分がいる。わずか8歳に満たない娘を目の前にして。


裏切りや嘘に暗澹たる思いをした経験が、この一瞬で吹き出す激情、
あんたまでそんなショーもない嘘をついて、お母さんはお見通しだよと、
かんらかんらと笑って、許せない狭量な見にくい自分をさらけ出す。
何故見せない、何故知らせない、何故頼まない、何故言わない、
何故聞かない、何故ちゃんとできない、何故隠そうとする、何故何故、
ひたすら追い詰めても、何もいいことなど有りはしない。
自分で自分の首を絞めるだけ。
全くの逆効果だということは、・・・それは仕事上でのこと。


プライベートでは、物わかりのいい、しつけの上手な、
明るい、にこにこと上機嫌の、何でもデキパキこなせる、
しっかりした主婦の腕前を振るえる、かーちゃんではない。
娘が年の割に本を読むのが上手で、整理整頓好きで、お手伝いもできる、
物わかりのいい、ぐずらない、忘れ物のない、優等生になれないのと同じように。
なのに、私は逆上する。理不尽なくらいに。

お母さんという女 (知恵の森文庫)

お母さんという女 (知恵の森文庫)

嘘つきは何の始まり? 泥棒の?
いいえ、嘘つきは、自分を雁字搦めにする有刺鉄線で
身も心も巻き付ける作業の始まり。
私には白い嘘はつけない。つく立場でもない。
私が嘘をつかずに生活をしている、わけではないはずなのに。
また、同じ、こんな、どうして、あなたも、やっぱり、もういい、
この繰り返し、これから、何度も経験する同じこと、
そのイメージが押し寄せてきて、私を激高させる。


疲れている。余裕なく疲れている。パソコンも、家の中も。
嘘をつく意識もなく、知らないわからないを繰り返す母。
嘘をつき始めることを覚えて、下手ながら使おうとしている娘。
これから、まだ何か出てくるのか、私の周囲。
考えると、私自身が生活していることさえ、茶番、嘘に思える。
さて、ここまで来るとノイローゼだよ。
日々に疲れている証拠だよ、と何かが囁く。


そして、眠ったような眠れないような夜を過ごして、朝を迎え、
怒りの収まらぬまま、業務をこなし、いつもより仕事は多く・・・。
書きながら、自分をはいどうどうはいどうどう。
24時間近くかかる冷却。こんな頭だから、熱を持つ。
私のノートPC、持ち主に似て熱の発散が下手だったんだ。
今更のように、主従の関係。嘘の付けない機械が先に壊れた。


ならば、嘘つきは人間の始まり。アダムとイブの時代から。
リンゴを食べたその時から。エデンの園はもう遠い。
おさなごを育てる喜びに浸る時代は終わった子育て。
嘘つきは人間の始まり。老いて認知のあやふやな親を看て、
自分の将来を見定める覚悟を先延ばしにするために、
自分の認知に嘘をつく。「大丈夫」呪文のように呟く。
「どうにかなる」 その先は深く考えないようにして、
嘘をつく。嘘つきは自分の始まり。愚かで悲しい自分の始まり。
さあ、今日は自分も娘も、どうやって扱えばいいのか。


全く違う人間だと、わかっていて血のつながりに甘える。
その甘えを、客観視することのできる冷たい人間になりたい。
上手に「白い嘘」を付ける人間になりたい。
本当の意味で、日常生活の中で、守るべきものを守るために。
過去の亡霊や、その他の行き違いに、蹂躙されることのないように。
我を忘れて、歩いた道の何倍も引き返さなくて済むように。

大丈夫だよお母さん―子どもと読める!お母さんの励まし本

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