Festina Lente2

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何と戦うのか

さて、本日の劇。正義の味方、社員の心とやる気を守る、
サラリー戦隊、シャインズマン5人組が大活躍・・・?
敵はイエスマンだけを贔屓し取り立てる、ジョーシズ。
気に入らない人間は窓際へ追いやり、リストラをチラつかせ、
モチベーションを徹底的にそぎ、必要最低限の「ほうれんそう」
報告・連絡・相談のみが許される。


文房具通販社員を装って毎日が戦いのさなか、
リーダー格のレッドが突然失踪。
残された、ブルー・ブラック・イエロー・ピンクの4人は?
誰の為に、何の為に、われわれは戦うのか?
「レッドが消えた日」 


さて、お芝居は生ものです。イントロはこんなものかな?
前もって送られていたチラシに5人組が書かれていたので、
娘との会話は、世にも恐ろしい5人組へと変貌。
その名は、脂肪戦隊フトルンジャー。
コレステロールレッド、メタボリックイエロー、
脂肪肝ホワイト、トリグリセライドブルー、
セルライトグリーン、かーちゃんにとっては宿敵ばかり。
ああ、かーちゃんの運命やいかに。
こんな5人組の仲間にはなりたくない。


(ちなみにメタボが気になる人はこちらを:第3診察室


誰の為に、何の為に戦うのか。
世間ではメタボリック論議が盛んですが、この5人組、
超こわもてで、かーちゃん、どこまで太刀打ちできるか。
いや、冗談はさておき、娘と家人、家族で観劇。
私にとっては関わった人間の成長や頑張りが、
自分自身へのカンフルとなって、夢を共有できるので、
貴重な時間ではあります。

サラリーマンでなくても、働くということに苦労は付き物。
モチベーションを上げるといっても、理想だけでは、ね。
劇中ではワーキング・シャインズマンとあったけれど、
社員とshineの掛詞なのかしらん?
働きながら輝き続けるのは、とても難しい。


主題歌の中の戦闘服はスーツ。・・・私はダメだな、これは。
知性と要領で、磨いたシューズで気持ちよく、うーむ。
営業、名刺、手帳、ボールペン、笑顔と気力、うーむ。
私は、唸るばかり。駄目じゃん、シャインズマンにはなれん。
それはともかく、社会ひずみや歪みを散りばめて、
セクハラ・パワハラをコメディにし、戦隊ものと絡ませて、
大人社会で生きていくことの不条理に、前向きに戦う、
そんな設定が、漫画タッチとはいえリアルで面白い。


家人は醒めていて、「活舌が悪いのでよく聞き取れん」と
冷たい批評。私と娘はギャグもシリアスも楽しく受け止め、
劇的空間の臨場感を楽しんでいるというのに、もう。
台詞を噛んでも、小道具が吹っ飛んでも、ナマの舞台は楽しい。
プロではなく、限られた費用の中で、自作自演を続ける。
その心意気が、私に何かを思い出させてくれる。


メンバーは学生時代から、足掛け10年以上活動。
世知辛い世の中、夢を追い続けていくのは大変なこと。
誰かとどこかで共有した空間は、再び2度とは戻らない。
チャンスの神様は前髪だけ。
夢を見る時間は未来に向かって流れていく。
思い出はその場に残り、過去になる。
輝いても、報われても、その一瞬だけ。
その瞬間から、失われる一体感、達成感、幸福感。
日常と非日常を行ったり来たりしながら、
自分らしい時間を確保する気力をどこまで保てるか。


演劇はある意味総合芸術だから、言葉だけでは成り立たず、
無言のパントマイムではないし、音響も照明も大切。
何よりも、不十分な設備であっても観客を巻き込む力、
エンロールする力があるかどうかにかかってくる。
ある意味私自身の仕事も、その場一回限りであって、
2度と同じことはできないから、真剣勝負の度合いでは同じだが、
1人きりでやるのと、多数集まって作り上げるのでは、
雲泥の差がある。だから、演劇は、好きだ。
(一方的に見ている人間だから、好きだとだけ)


何年も何度でも見ていると、色んな役が走馬灯のように過ぎる。
役者の成長と共に、変化する演技、台詞回し、雰囲気。
なのに、何年経っても変わらない個性、持ち味。
不思議なものだ。色んな役を物にしていても、
必ず現れてくる地の部分。普段を知っているだけに見えるのか、
それともこれを完全に消さなければ、プロにはなれないということか。

               

何と戦うのか。戦う大人。劇の中で何度もきいた、戦う大人。
かーちゃん、私よ、私自身は毎日全うに戦っているか?
逃げることさえも、サボタージュすることさえも、抵抗無い
そんな大人になってはいないか?
やる気も夢も薄められて、味気の無い毎日を送る。
今の私にとっては仕事より子育ての方がカンフルかもしれない。
それほど、仕事は侵食されている。心理的にも物理的にも。


何と戦うのか。
家人は、ストーリー以前の所で理解しようとはしない。
振り返ったり考えたりしないのかと思えるくらいに。
私は、常に自分を取り巻く複数の物語の中であがいているのに。
だから、私達はかみ合わない。そういう意味では。
考えすぎて感じすぎて、蜘蛛の糸に絡まっているような、
息苦しさを感じているというのに。


何と戦うのか。何故、戦わなければならないのか。
いつまで続くのか、この戦いは。
自分自身の中に置き換えられるメタファーに触れて、
物語は増幅する。台詞は心をかき乱す。
思い当たることが多すぎて、隠していたいことも多すぎて。


普遍的に人が思い悩む、その片鱗。ストーリーの中に、
いつも私は輪私を見出す。ただのかーちゃんではない、
かーちゃんになりきれず、徹しきれず、
引きずっている仕事中の自分を見出す。
仕事に引きずりまわされている自分、
仕事から距離をとろうとしている自分を見出す。

          

今日の劇は泣けない。感動よりも、やるせない。
自分の日常に還って行くものが多すぎて、泣けない。
カタルシスではなくて、フラストレーションが蘇る。
残念だけれど、こういう劇の見方になってしまう日も。
南から北へかけて半日移動。
祝祭は、自分を屠るもの。
仕事と家庭の両立を思うとやるせない。
自分が、矢ぶすまになっても仕方が無い。
今日は、泣けない。


転院丸2年。明日から3年目に入る。今日は、泣かない。

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