Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

新月祭に招かれて

11/5少し写真を加えて、本文を改定しました。


本来ならば、娘は大学生でもおかしくない。
下手をすれば、孫を連れて歩いていると誤解されかねない。
それくらい、年の差がある娘と母校に向かう。
在学時代は、この大学が好きではなかった。
この大学の良さもわからなかった。
滑り止めの大学に入学したふがいない自分と、
初志貫徹で浪人した友人達との差を思うとやりきれなく、
自堕落な生活を送っていた。(昭和の思い出?)


クラブ活動もせず、サークルにも入らず、コンパにも出ず、
時計台の下でボーっと本を読むだけの生活。
効果で手の届かない新刊を予約・入手するだけが喜び。
だから、自分の大学の学祭になんて出たことはなかった。
ただ、キャンパスを四季折々に彩る豊かな自然は、
無言でこういう学生を癒してくれていた。
 

     


新月祭。クレセント。甲山を長距離走で走ったことも懐かしい。
日本とは思えない南欧風の学舎を、娘と2人で歩く。
様々な屋台や、呼び込み、冷気爽やかな晴天下、
在学中は無かった会館、学生会館や他の校舎、
相変わらずひんやりと薄暗い教室。
いつも緑鮮やかな芝生。


ゼミで仲の良かった友人達の姿を思い出す。
「いぬめり会」のメンバー達はどうしているだろう。
いわゆる文学少女という、絶滅危惧種であった私達。
オタクなどという言葉は無かった時代、
ノンポリで、ファンタジーと歴史ロマン、バロックとロック、
平安時代以前が専門、心理を少し齧った静かなワイルド。
「哀れ今年の秋もいぬめり」から名づけられた私たち。

                 


そう、私達グループは華やかさからは程遠かった。
「ああ、かわいそうに。今年の秋も何も無く終わってしまった
 (ようであることよ」
という歌そのものの、青春。わび、さび、
わさびが効き過ぎた青春の海を、物憂く漂っていた。


「ちぎりおきし させもが露を いのちにて
        あはれ今年の 秋もいぬめり 」
しかし、ただ行き過ぎているのを待ってもいられないl。
それぞれ、個性豊かにその後自分の人生に責任を持って生活。
現在に至る、今、今、今。


昔、乙女。文学少女たちの姿はいずこ。影も形もなし。
今、娘と共に歩く我は何者ぞ。
我は何者ぞ。


「お母さん、3学期から転校してもいいよ」と言う娘には、
母親にも若い時代があった証拠、その学び舎を、
どのような目で見ていたのか。わからない。
殆ど丸1日をここで過ごして、何が一体残ったのか。
かーちゃんには、わからない。でも、一緒に来たことが大事。
娘を一つの節目で、連れてきたことが大事。
一緒に来られたことが大事。


フィリピン家庭料理という触れ込みの屋台で、チキン丼。
恐るべし、NHKの朝ドラ「ちりとてちん」の影響、
娘は喜んで落研の落語を2席聞き、(つーと飛んでるーと留まって・・・)
ちゃんと笑っていたのが、かーちゃんとしては驚き。
ビーズで腕輪を作って、キッズコーナーで遊び、
レストランでランチ、ステンシルでマイエコバック作り。

 
同窓会のくじで、ケーキ・靴下・かばんが当たり、
写真部と活け花部を見て、アロマキャンドル作りはできず仕舞い。


娘のもの作りに付き合っていると、展示も見られず音楽も聴けない。
そこで、生協書籍部に買い出しついでに、散策、写真。
通りすがりのジャズバンド演奏を聞き流し、
なじみのない新校舎に混じって、塗り替えられた校舎の中で
昔のままの教室を見つけ、幾ばくかの感慨・感傷に浸り・・・。
そう、新月祭のテーマは「かけがえのない日々」。
まさに、「されど我らが日々」2度と戻らぬ学生時代。


まさしく、かけがえのない日々。
遥かに先輩達の、杖を付き白髪なびかせ歓談する姿に混じり、
孫にも近い歳の娘を連れて、歩き回る1日。
まさしく、かけがえのない今日。
2度と戻らぬ今日1日。

日々の楽しみ―毎日を幸せにするもの140

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