Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

ブレイブ ワン(THE BRAVE ONE)

「許せますか、彼女の選択」というキャッチフレーズはともかく、
ジョディ・フォスターが演じる主人公は、
絶対に同じ目に遭いたくない過酷な設定だ。
結婚を控えた幸せなひととき、恋人と夕暮れ時犬を連れて散歩する。
満ち足りていて平和で穏やかな時間が、強盗にもぎ取られる。
恋人の死、自分も傷つき、愛犬も・・・。


その後の状況は、筆舌尽くしがたい悲嘆と傷心の日々。
PTSD−恐怖、混乱、大地が揺れ足元が崩れるような不安、
突然落込んで行くような、飲み込まれるような感覚。
見るもの聞くものが遠くに感じられる離人症状。
主人公エリカ・ベインの心が耐え難い記憶・体験に
侵食されて萎えていく様子が描かれている。


本来ならばもう少し時間をかけて、丁寧に描写してもらいたい部分だが、
ある意味こういう描写に苦痛を感じる人に負担をかけないよう、
短く挿入されているのだろうが、物足りない。
そのため、自分自身の安全と幸福が打ち砕かれて
飛び散ってしまった後は、本当はこんなものではないのだと、
疼く、静かな怒りが増幅されてしまう・・・。


銃で自分を守らないといけない状況、心理状態。やりきれない思い。
理不尽で受け入れ難い世界、信じ難い世界。
・・・世界を許すことができない。
全てが敵対している。無力な自分を食い物にするのではないか。
愛するものを失った喪失感が、何もかも、自分の心も殺してしまう。
優しく柔らかく暖かく穏やかな物思い、視線、手触り、心のひだを。
無力感が怒りに変わる時、
それは立ち直りの初めだと言えるのだろうか?

心に傷をうけた人の心のケア―PTSD(心的外傷後ストレス症候群)を起こさないために

心に傷をうけた人の心のケア―PTSD(心的外傷後ストレス症候群)を起こさないために


ジョディ・フォスターはデビュー当時から好きな女優の1人だ。
なぜなら、他の女優ではできないような脚本を選んで出演・製作する。
個性的な、社会的な、斬新な、自分で自分を追い詰めるような、
そんな作品の中で危機に陥れば陥るほど、
極限の中で深みを増す、本質をさらけ出す人間の姿。
そういうものに対峙することを辞さない
役者魂を持っているので好きだ。
まあ、色々言う人がいる。人の好みはそれぞれだが。


人生は理不尽で救われない、
救いようの無い運命の糸に絡め取られていて、
もがけばもがくほど、泥沼の中に沈み込んでいく。
ささやかな小市民的な生活を満喫することが許されない、現実。
彼女はできれば人が目を背けたがるような部分に注目して、
「気が狂うほど苦しい・切ない・痛い思い」を抱える人物を演じ続ける。


そこに込められているメッセージは、様々な方向から読み取れる。
フェミニズム・人種差別・銃武装化社会・薬物乱用・
売春・レイプ・強盗・誘拐・・・いずれにしても、
彼女は自ら殺人者を演じることは無かった。
ゆえに、今回は「最後の一線を越えた」を評されているが、
別に当然の成り行きだといわざるを得ない。


無差別テロを傘に来て、国家的なテロを行っていると
非難されても仕方の無い、斜陽の大国アメリカの内部告発者として、
一石投じる立場に立つのは、役者の意地のようなものがあるだろう。
例えば、監督としてのマイケル・ムーアが取り続ける映画のように。
銃社会を告発する「ボウリング・フォー・コロンバイン
医療問題にメスを入れた「シッコ」

個人的な復讐にしか過ぎないのか、天誅なのか、単なる殺人?
誰かを助けるためでも、身を守るためでも、悪を倒すためでも、
それは単なる殺人にしか過ぎないのか。
法が裁いてくれない矛盾を耐え忍ぶだけが唯一の道なのか。
D.J.である主人公の職業を通じて市井の声が拾われる場面は、
リアルで生々しくて、辛い。


そこへ絡んでくる殺人課の刑事が渋い。あの名作「夜の大捜査線」の
シドニー・ポワティエを髣髴とさせる、テレンス・ハワード
離婚に悩み、正義が敢行されないことに怒り、今また主人公が
悲劇からどのように立ち直ったか疑問を抱きながらも、
エリカの心中を推し量りながら、自分自身の思いを吐露する場面は
ハードボイルドなラストシーンと並んで見応えがある。

「もしも、自分の身近な人、親しい人が法を犯しているならば・・・」
事件の核心に迫ろうとする知性と理性が、エリカへの思いの狭間で揺れる。
最終的にはそれがラストへの伏線になるのだが、もう一つ、
意図的に盛り込まれていた人種的な絡みを、どう理解していいものか。
日本人から見ても気になるところは、多民族国家アメリカでは
どうということはないのだろうか。


主人公は白人女性、恋人はインド系移民。
職業的にはラジオ局勤めと医師。キャリアではつりあっている。
肌の色の違いはあれど、愛で結ばれている二人。
そこへ暴行を加えるヒスパニックの若者。
エリカの最初の殺人はベトナム系移民の妻を殺した白人男性。
次は黒人の老人と子どもと白人を脅した、黒人の若者。
有色女性を車内に監禁している変態の白人男性。
次は、刑事が追っていた、妻を偽装殺人の白人の悪徳企業家。
「人を殺してきたの」と告白するエリカの手当てをする、
隣人の黒人女性の祖国の話は殺伐としている。
「軍は子どもに銃を渡し、親を殺すように命じるのよ」
マーサー刑事の離婚したは黒人。刑事の相棒、白人。
マーサーが思いを寄せる主人公エリカ、白人。
意図的に組まれているのか、カラードとホワイトの対比。


この人種的なバラエティが、アメリカらしいのかもしれないし、
シドニー・ポワティエが活躍した時代とは、違うことを意識させる。
そういえば、エリカの恋人ディビッド役は、これまたかの名作、
イングリッシュ・ペイシェント」で、準ヒロインのナースの恋人、
爆弾処理係の軍人役を務めた。なかなかいい役どころ。
発炎筒の明かりで、教会の壁画を空中散歩しながら見る
ラブシーンは今も心の中に残っている。

イングリッシュ・ペイシェント [DVD]

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いずれにせよ、救いは「人の心の綾なす世界」の中にある。
おそらく、宗教的な色合いを持ち出すのなら、
罪びとを石打ちの刑にしようとした時に、イエスが言った言葉。
「自分に(全く)罪が無いと思う者は、石を投げよ」
誰も石を投げることができなくなってしまう、あの聖書世界。
刑事は自分を罪びとにすることで、法の番人ではなく、
石を投げることができない隣人として、主人公を逃がす。
ここが、類似する日本の小説「カウンセラー」(松岡圭祐)との違い。


それは、愛か。醒めた理性か。殺人現場を日常とする刑事が、
エリカの転送した暴行シーンを目にして、ハンムラビ法典の履行を
よしとするに至ったのか。とにかく、一線を越えることは誰にでもできる。
私にもあなたにも。
一線を越えたくなるような出来事、自分を別人に変える出来事は、
どこにでも転がっている、いつ起こっても不思議ではない。


その時私は当事者なのか。隣人なのか。
一体誰なのだろう。

カウンセラー (小学館文庫)

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トラウマを乗りこえるためのセルフヘルプ・ガイド

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